ウィークリー・メッセージ 20195

 

「同性婚がなげかける問い


 

  聖マルチン病院 司祭 井原 彰一神父  

日「同性婚」を認めてほしいというグループが国内のある都市で街頭行進したニュースをテレビが放映しました。

これまで「結婚は男性と女性が互いに愛と忠実を尽くし、人生を共に生きて行くという誓いに基づいて家庭を築くものである」という教えに慣れ親しんだ人にとっては、「同性婚」という結婚の在り方は非常に奇異な感じをもたらすものであると思います。

アダムがエヴァに呼びかけ「これこそ私の骨の骨、私の肉の肉。これをこそ女(イシャー)と呼ぼう。まさに男(イシュ)から取られたものだから。こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれて、二人は一体となる。」と創世記にある通りです。

別にイエスは有名になって、故郷に錦を飾ろうと思って戻ったのでも、会堂に入って話したのでもないでしょう。いつもと同じように、ここナザレでも福音を宣べ伝えようとされた。そこが生まれ故郷かどうかは関係無く。

ところが、ナザレの人々はそうじゃなかった。イエスもそれがわかったから、あのような、かなりきつくあてつけて話された。あれでは、彼らが激怒するのも無理ないでしょう。

しかし、本当にイエスは、彼らの態度、言葉が気に入らなくて、あてつけて話したのでしょうか。昔、ヨハネの福音の授業で、イエスが神殿から動物等を追い出している場面について、教授が言われたことを思い出します。

日本の憲法でも第24条第1項に「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」と規定されており、結婚は夫と妻(婦)つまり「同性」ではなく、「両性」の二人によって成り立つと考えられており、同性婚は認められておりません。E.H.エリクソンという心理学者が自己同一性という概念を提唱したのですが、その中で性的同一性について触れています。

自分が何者かを確立する基として自分が男であるとか女であるという意識が自己確立の一つの要素としたのです。

しかしながら、最近性的マイノリティのグループの運動が活発になってきております。性的マイノリティはLGBTと言われますが、(Lesbian,Gay,Bisexal,Transgender)の頭文字を集めた表記であり、これは生まれながらの性に「性同一性」が合致していない様子を表すものです。

人間の「性」は身体的な遺伝子の要素だけで決まるのではなく、文化的・社会的につくられた男女の行動様式や心理的特徴いう要素が複雑に絡み合って形成されるというところに深い決定要因があるからであります。

この人たちの「同性をパートナーとして選び、結婚という形態をとって人生を生きていきたい」という自分らしい性的感覚、性的心情、的人生観はキリスト者にとって認められ得るのでしょうか。

賛否両論の意見があるでしょうが、まず世界の中で実際に「同性婚」を認めている国がどの位あるかを見てみましょう。

「同性婚」を認めている国は、オランダ、ベルギー、スペイン、ノルウェー、スエーデン、ポルトガル、アイスランド、フランス、南アフリカ、アルゼンチン、カナダ、ニュージーランド、ウルグアイ、イギリス、そしてアメリカは州によって異なりますが、2015年に連邦裁判所は同性婚を認める判断を示したのです。

キリスト教国と言われる国でもかなり認められつつあるというのが現状です。日本ではどうでしょうか。法律的には「同性婚」は認められておりません。

しかしながら、平成15年に東京の渋谷区は同性カップルに「同性パートナーシップ」(結婚に相当する関係)を認める証明書を発行しています。

その後、世田谷区、那覇市、札幌市でも「同性パートナーシップ」の導入を認めています。キリスト教国と言われる国でも「同性婚」が認められていますが、教会は同性のパートナーの結婚式を認めているでしょうか?

また、同性のパートナーの婚姻は秘跡となり得るでしょうか?

「婚姻」の本質が問い直されるでしょう。


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