ウィークリー・メッセージ 20165

 

「貧しい人々に福音を…

 

 ブラザー  八木 信彦

 日読まれるルカ福音書の一部です。
 「貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」
 この箇所の私のイメージは、以下のようになります。
 「経済的に苦しく生きていくのが精一杯の人、正義を貫いたために非難を浴びている人、自分はだめだ、役に立たない、いない方がましだと思っている人、自分や他者をゆるすことができない人、自分の弱さ、欠点、罪でがんじがらめにあっている人、常に周りの評価によって自分を演じている人、ありのままの自分自身を受け容れることができない人、身近に愛を感じさせてくれる人や出来事に気付かないでいる人、権力のもとで右往左往し、希望をなくしている人…、そういう人々に、福音(愛・慈しみ)を注ぎ、解き放ち、開眼(気付き)の恵みを与え、自由にするために、私(イエス)は救い主としてこの世に送られてきた。」
 イエスキリストは、このことのために、父なる神さまから使命を受けて、この世で人々と寝食、喜怒哀楽を共にしたと言っても過言ではないように思うのです。

 このイエスの生き方、そしてこの箇所の生き方を一生涯貫き通し、修道会を創立した一人の聖人がいます。それは、オブレート会創立者ウジェーン・ド・マズノ(以後「ウジェーン」)です。明日(2016年1月25日)は、オブレート会創立200周年に当たるので、彼を紹介させてください。
 というのも、彼の召命の中心となるものは、ルカ福音書「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。」まさに今日読まれる箇所にあります。
 イエスの命に参与するということは貧しい人々への愛の道となりました。キリストと同じように神の栄光のため、そして人々の救いのために自分自身を献げました。聖パウロが言う「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現われ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(フィリピ 2:6-11)という精神です。自分の事を忘れて神の栄光だけを考えることです。
 彼のイエス・キリストに対する熱烈な愛情とイエスに従う決意はとても強かったのです。フランス人だったので、当時流行っていたフランス人の霊性の特徴の一つでもありました。つまり御子イエスが父なる神に対する敬虔を表されたと同じように、イエスの弟子としてその足跡に従いたいという熱意でした。
 25歳の時の聖金曜日に、十字架の前で祈っていた際、彼はキリストに捕らえられたかのように、あふれる涙を止めることができませんでした。というのは、キリストが彼自身のために十字架に付けられ亡くなられたと悟り、自分の罪を深く感じ、泣いたのです。また、自分のためだけではなく、すべての人々のために亡くなったイエス、このイエスのために一生を捧げたいと心底思いました。


 神に愛されているという体験によって自分の生涯を決め、神学校に入りそして自分の活動に大いに影響を受けました。教会に対する愛情もそこから来ています。そして人は一人ひとり特別な値打を持ち、かけがえのない者だと痛感しました。それは神が、キリストが皆を平等に愛して彼らのために亡くなられたからです。
 そして一生を通してウジェーンの手紙と文献の中によく見られるのは試練の時の態度です。そういう試練はすべてキリストの受難に参与できる機会として見ていました。キリストを喜ばすための修業ではなく、キリストと一致しての修業生活です。キリストは私たちの苦しみに対して絶対喜ばれなせん。しかし経験する苦しみがイエスの苦しみと合致した時に大いに大きな恵みとなることができます。
 ウジェーンがイエスの運命に参与するということは大いに彼の心を自由にさせたのです。どこにでも誰にでも手を差し伸べることができました。ご受難は確かに苦しみですが祈りでもあります。無制限の愛の現われだから魅力的です。ウジェーンは自分の一生を忠実に愛への応えにしたかったのです。そしてその応えは彼の活動の活気となるのです。
 以下は新司祭だった時にエクス・アン・プロヴァンスのマデレッヌ教会においてプロヴァンス語で、朝6時から労働者や召使や貧しい人々のために行われた説教です。
 「皆近づきなさい。誰であろうと近づきなさい。休まずにこの教えを聞きに来なさい。あなたがたが誰であるかを先ず教えてあげます。つまりあなたがたの尊い由来、そしてそこから出てくるあなたがたの権利、またそこから生じるあなたがたの義務を教えてあげましょう。世間の人に聞いてみましょう。その答えは偏見が染み込んでいるでしょう。何故なら世間の人の判断の規準は愚かで、その規準によって全てを計るからです。
労働者たちよ、世間の目から見るとあなたがたは誰でしょう。みじめな仕事に追われて一生涯を過ごす階級にすぎません。それはあなたがたを自立できない存在にし、またあなたがたの上に立っている人々の気まぐれのためにいやしめられることになっているのです。

召使たちよ、世間の目から見るとあなたがたは誰でしょう。給与を与えてくれる人々の奴隷のグループにしかすぎず、過度に要求されそして時には残虐な主人の軽蔑や不正またはたびたび暴力さえも受けている人々です。彼ら主人はあなたがたに安っぽい給与を与えているのだからあなたがたに対して不正なことができる権利を獲得したと思っています。
そしてあなたがた農民たちよ、世間の目から見るとあなたがたは誰でしょう。どんな有意義な仕事をやったとしても、腕の力や土を肥やすためのあなたがたの汗だけが認められます。
 近づきなさい。今から、信仰の目から見ると、あなたがたはどういう者であるかを識りなさい。イエス・キリストの貧しい人々よ、悩まされている人々よ、不幸な人々よ、苦しんでいる人々よ、弱い人々よ、皮膚の潰瘍に覆われている人々よ、悲惨な事の多い人々よ、兄弟よ、親愛なる兄弟よ、尊敬すべき兄弟よ、私の声に耳を傾けなさい。
 あなたがたは神の子であり、イエス・キリストの兄弟であり、永遠の御国の共同相続者であり、相続遺産の内の最も愛すべきものです。聖ペトロの言葉を借りると、あなたがたは聖なる民族、王国の祭司、いや、ある意味では神にさえなっています。
 あなたがたはいつの日か神の姿を完全に掴む使命を持っています。イエス・キリストの御血にあがなわれたあなたがたです。あなたがたはこの世の中の全ての宝よりも、全ての王国よりも神の目の前で価値があります。神はこの世を支配することよりもあなたがたに興味を持っておられます。キリスト者よ、あなたがた自身の尊厳を知りなさい。」


 この調子で四旬節の間の日曜日ごとに貧しい人々を励ましました。皆の尊い価値を伝えました。恵み深い救い主は自分の霊的生活や奉仕活動の原動力に成ります。
 ウジェーンの特徴は貧しい人々や社会から外された人々を優先することでした。若き司祭の時にこういうふうに司教に手紙を書きました。「私が唯一待望していることは貧しい人々と子どもたちの下に身を尽くすことです。だから私の最初の戦いは刑務所にありました。」


 貴族の一人であった彼は他の貴族の人々の非難を受けました。それは貧しい人々の下で働くことだけではなく、フランスの母国語ではなくその地方の方言プロヴァンス語を使っていたからです。その精神は、つまり全世界の人々をありのままに受け、彼らに合った言葉を使うということはウジェーンが創立した修道会の特徴でありウジェーンの遺産の一つとして残っています。

 まだまだ彼のエピソードはたくさんありますが、前述した私のイメージ「貧しい人々に、福音(愛・慈しみ)を注ぎ、解き放ち、開眼(気付き)の恵みを与え、自由にするために、私(イエス)は救い主としてこの世に送られてきた。」この生き方と、私たちオブレート会の創立者ウジェーン・ド・マズノの生き方があまりにも重なったため、創立記念日に合わせて紹介させていただきました。

 

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