ウィークリー・メッセージ 20205

 

年間第三主日 マタイ4;12−23 ホミリア


 

  鳴門教会担当司祭 乾 盛夫 神父  

者ヨハネまで抹殺されたと聞いたイエスは、ナザレの住居からガリラヤに身を移され、ご自分の時、つまり洗者ヨハネがイエスが火と霊による洗礼に向って司牧してきた民に直接接する時になったことを応えられるようになった。ここでご自分の言葉を聴かせることで、それまで伝統で固められていた、閉ざされていた耳を拓くメッセージを告げたのである。誰に聴き誰に従えばよいか、と新しい権威を持って、神の国の到来をを感じさせたのである。

このガリラヤと言えば、イスラエルでは圧政的な力のを入れる必要の無い、力からの逃れ場という地方であった。ガリラヤからメシアが出るとは考えられなかった地であった。そんな地でそこに身を寄せていた人々の境遇に入り、追う者から一時身を隠されたのである。そこの人々の様子も 牧者のいない羊の群れのように見えた。まさにメシアを待つ同胞の民である。洗者ヨハネが予告していたとうり「神の国は近づいた。改心して洗礼を受けなさい」と誘い、ご自分と一緒に生きる神の民の集いへと繋いでいったのです。この呼びかけはすぐに知れ渡って行ったのです。それは皆が待っていたことだったからである。

このガリラヤでからの神の民を繋ぐ働き・仕事はイスラエルの民が神の国の民として、兄弟として同じ網で神の国に引き上げられるようにと、イエスは二組の兄弟を召し出したのです。シモン(ペテロ)とその兄弟アンデレに「私についてきなさい、あなたを人をすなどる者にしよう」と言われて、新しい召命をお与えになった。船の中でこれを受けた二人は網をそのままに残して、イエスに従った。また、同じ漁師で父親と網の手入れをしていたヤコブとその兄弟ヨハネをもお召しになった。二人は父親と船とを後にしてその召し出しに従った。

その国でその民が従うことが信仰の恵みである、と心して聴きましょう。今日のマタイ福音書は、福音宣教の開始を、ユダヤの民への福音宣教に帰属することを明示しています。


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