ウィークリー・メッセージ 20188

 

復活の主日」


 

  高松教区祭 司教 諏訪 榮治郎    

の復活 おめでとうございます。 去年も、今年も、来年も・・教会のカレンダーは主の復活祭を告げ知らせ、神に賛美をささげます。

イエスキリストの復活を誰も見ていません(墓から起き上がるという意味での)実証的な証明はできません・・。が、これまで2000年の歴史の中で、復活された「イエスと出会った」という体験は今も与えられている事実なのです。

時代、場所、文化、社会状況が違っていても「イエスとの出会い」は、その人の人生を新たにする体験であり、イエスに満たされ、生きる意味を見出し喜びに生まれ変わる体験としてあるのです。

混沌とした社会にあっても、この出会いは「愛、生命、真理」へと時間を超えたイエスさまの慈しみに満たされる体験なのです。それは社会を変えることにもなるのです。もし、主の復活祭がなかったのなら、人類の歴史はどうなっていたことかと・・よく思います。

聖書をよく見ますと、神がイエスを復活させた、というのです。それは父である神さまの計画だというのです。すべての存在の根本である慈しみ深い神さまの心は、イエス様によって現わされました。

イエス様の十字架を見つめましょう。あの十字架の縦棒は深く大地に分け入り、ともに涙を流す神の心です。同時にその縦棒はまっすぐに神のもとに伸びていくのです。

この十字架の縦棒は神と人を結ぶ愛と赦しの「神のこころ」です。その縦棒は、刻一刻と流れる時間を表す横棒と交わります。交わったその時間は、愛と赦しの恵みに満たされているのです。

神の愛と赦しはよってすべての時間は満たされていることを表すのです。貧しい私ゆえ、その恵みに気づき、触れ、満たされる出会いの時があるのです。

愛と赦しと永遠の命に裏打ちされていることの出会いなのです・・。「復活」の喜びはあなたのものなのです。

復活祭おめでとうございます。


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