ウィークリー・メッセージ 20186

 

溝部脩司教3周年追悼ミサに当たり

 

高松教区事務局長  西川 康廣助祭   

部司教は2016229日、午後7時過ぎに京都において神のもとへお帰りになった。

預言者は自分のことば、意見、考えなどを伝えるためではなく、神のことばを伝える使者として選ばれています。

2004年に高松教区に着座されて7年間の短い間だったが、溝部司教が召命問題に取り組んで来られたことは、昨年司祭叙階したヨセフ神父、この321日に司祭叙階する高山徹助祭へと引き継がれ、これからも彼らを通して次の世代へと受け継がれていくと確信している。

わたしは2007年に溝部司教により高松教区で最初に叙階された助祭であり、次に谷口広海助祭、そして神のお望みであれば来年2人の終身助祭が誕生することになる。パウロはコリントの教会への手紙で、「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし成長させてくださったのは神です。

大切なのは植える者でも、水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。植える者と水を注ぐものは一つですが、それぞれの働きに応じて自分の報酬を受けることになりますが、わたしたちは神のために力を合わせて働く者である。」と述べている。溝部司教もパウロと同じ思いで召命問題に取り組んで来られたと思う。
昨年ヨセフ神父が司祭叙階した後、彼のご両親やハノイの司教方に報告とお礼を申し上げるためにベトナムを訪問した。約一週間の滞在期間中、多くの教会を訪れたが、案内する時のヨセフ神父の顔は輝いていた。

また行く先々の教会では、どこも2030名のご婦人たちが一緒に祈りを捧げている姿には心を打たれた。この環境の中で生まれ育ち、司祭召命が生まれたと確信した時だった。

ある教会の早朝ミサでヨセフ神父がミサを捧げ、わたしが説教を担当した時だった。ミサが終わって二人の小学生侍者たちにお礼を述べ、朝早くから大変だったねと声を掛けると、彼らは「いいえ、これは二回目のミサでした」と、当たり前のように返ってきた言葉には頭が下がった。今回訪問した同じ教会を溝部司教も行かれたと聞き、溝部司教も同じ感想をお持ちになられたと思う。

パウロは、「わたしは命じます。折が良くても悪くても、み言葉を述べ伝えなさい。」と霊的息子ティモテに命じた。み言葉の巡礼は、耳で聞き、心に届き、手と足に伝わった時、み言葉の巡礼は終わる。

み言葉と日々出会い積み重ねることによって、今は理解ができない出来事であっても、必ずいつかは意味が分かるようになる、これは溝部司教の口癖だった。祈りも同様、日々キリストとの出会いと交わりを大切にしなさい。わたしたちはどんなに頑張っても自分の無力さを感じるものだ。弱くて脆いからこそキリストの完全な愛に委ね、祈ることによってキリストに頭を下げることを学ぶのだ、これも溝部司教の教えだった

若者が「永遠の命を得るには、どんなことをすればよいのですか」という問いにイエスは、「神の十戒を守りなさい」と言われた。すると若者は、「そんなことはみな守ってきました、まだ何か欠けているでしょうか」というとイエスは、「もし完全になりたいのならは、持ち物を全部売って、貧しい人に施して、わたしに従いなさい」と言われた。(マタイ19.16-26従う」ということは、「いつか」でなく「今」、更に今までわたしはこれ以上はできなかったという一線を持ち、自分の立場でできる範囲のことをしてきたのだが、イエスは自分の立場を出て行かない限り、また自分が痛むことなしにイエスに従うことは不可能だ。「自分自身が王座から降り、その王座をイエスに明け渡し、今を全力で従っていくことが大事だ。これが溝部司教流の信念だったように思う。

 

溝部司教が、自らの人生を通して学びとった生きた命の言葉を大事に生き、そして次の世代に伝えていきたいものです。

 高松教区事務局長 西川 康廣助祭

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