ウィークリー・メッセージ 20183

 

イエスのもとに「泊まる」から「留まる」へ

 

ブラザー  八木 信彦   

ハネの二人の弟子は、イエスの泊まっている場所を知りたいと願い、ついて行き、そこで泊まりました。しかし二人は「泊まる」体験をしたのではなく「留まる」体験をしたのです


 「泊まる」は「一夜を過ごし、滞在する」の意味ですが、「留まる」は、「動いたり離れたりしないように固定する。意識を向け集中し、注目・注意する。はっきり意識し記憶し、忘れない。」という意味があります。


 ちなみに、目を「留める」という意味での「見つめる」という言葉が36節と42節で使われています。前者は、洗礼者ヨハネがイエスを見つめ、後者はイエスがシモンを見つめています。「中まで見通す」という意味です。「視線を向ける」「心を惹かれる」「関心を寄せる」「意識が向く」「興味が湧く」「魅力を感じる」「気にかける」「配慮する」「心にとめる」ことです。


 「来なさい、そうすれば分かる」と言われたように、イエスがどのような方か、それはイエスのおられる場所に来てみれば分かります。説明や解説は要らないでしょう。あの晩、二人はイエスの泊まっておられる場所に行き、寝食を共にし、そこで救い主と出会った、そのことだけで十分だったのでしょう。生きた神様との出会いを経験してもらう…ということです。


 イエスの愛に触れ、救い主と信じる喜びを味わったとき、イエスに魅せられ、揺るがない信頼とイエスに常に目を向けていくお恵みが与えられます。この出会いを決して生涯忘れることはないでしょう。
 自分が味わって経験して、良いと思ったり感動したものは、なぜだか誰かに伝えたくなります。誰かに伝えずにはいられなくなります。事実、イエスに出会ったアンデレは、兄弟のシモンにイエスのことを伝え、引き合わせます。


以上のことから、二人はイエスの家に「泊まった」だけでなく、イエスの魅力に「留まった」のでしょう。イエスが自分の人生の揺るがない土台となりました。その結果は…言うもまでもなく、イエスを誰かに伝えたくなります。誰かに伝えずにはいられなくなりました。


 私たちも、イエスを誰かに伝えたくなるために、誰かに伝えずにはいられなくなるために、イエスのもとに「泊まる」だけでなく、イエスのもとに「留まる」経験をしなくてはならないのかもしれません。
 


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