ウィークリー・メッセージ 201525

 

マルコによる福音4章35節-41節向こう岸に渡ろう」

 

 徳島教会担当司祭 イスマエル・ゴンザレス        

 エスは、弟子たちに言われました。
 神の国の福音を知らせるために、新しい宣教の地へ向かうイエスです。
 「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子には枕するところがない」
イエスの3年間の公生活には、決まった家はありませんでした。陸や海を越えて、町から町へ移動していたのです。

 今日の福音書で、イエスはぐっすり眠っていました。
弟子たちは、イエスを舟に乗せたまま漕ぎだしました。その後、湖は荒れて、弟子たちは、風と波と戦っていました。激しい突風と波をかぶり、舟は水浸しになり、弟子たちは、自分たちが危ないと思いました。眠っているイエスと恐怖にうろたえている弟子たちの姿です。弟子たちは、イエスに叫びました。「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」弟子たちはイエスに従順に従ったのに、イエスが共におられたのに、嵐が起きたのです。イエスはまず、湖に向かって、「黙れ。静まれ」と言われました。湖はイエスに従いました。自然界までも、イエスに従がったのです。イエスは弟子たちに「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」と言われました。イエスに従うということは、どのようなことなのでしょうか。イエスは神のみ心に従い、自分のすべきことを自覚しています。神への信頼の内に「向こう岸へ渡ろう」と言われたのです。

 実際に次のような話があります。
高松から神戸に向かっていた船が嵐に遭いました。乗船者たちは、いろいろな作業を恐れの中続けました。でも、ある女の子はひとりで遊んでいたのです。嵐がおさまり、乗客の一人が女の子に聞きました。「あなたは、怖くなかったの?」女の子は答えました。「だって、わたしのお父さんがこの船の船長だもの。」と。女の子は、父親と一緒の船に乗っていることで、恐怖も不安も持たなかったのです。もしもの時には、父親は必ず助けてくれると信じていたのです。

 私たちの生涯にも大変なことが起こります。しかし、いつも神を信頼しましょう。神はいつもいっしょにおられます。全ては神のご計画であり、この世に偶然はありません。

イエスが十字架上で
わたしの神よ、わたしの神よ なぜわたしをお見捨てになるのか。
 と、叫びますが、すぐに神の御手にゆだねますと祈ります。
 イエスは、神に深い信頼をもって、自分の霊魂もお渡しになりました。
救いは、十字架から由来したのです。イエスは十字架によって「すべての人」の罪をゆるし、地上から上げられて「すべての人」を救ったのです。


恐れることはない。
わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。--マタイによる福音書



 今日の福音書からイエスの励ましの言葉「向こう岸に渡ろう」「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」を頂きました。そして、イエスと弟子たちの体験を通して、私たちもイエスを深く感じ信仰生活を送って行きましょう。

   弟子たちは非常に恐れて、互いに言った。
「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」

<クリスティ神父の記事「年間第11主日」に行く 乾神父の記事「年間第13主日のマルコによる福音から」に行く>

ウィークリー・メッセージ目次に戻る

トップページに戻る