ウィークリー・メッセージ 201712

 

「門であるキリスト ヨハネによる福音10章1節〜10節

  

小豆島教会担当司祭  岩ア 武

 

 「私は羊の門である。…私を通って入る者は救われる。その人は門を出入りして牧草を見つける」主イエス・キリストは、ご自身が救いへ至る門だと言われます。
道であり、真理であり命であるとも言われ、また、良い羊飼いであるとも。羊の先頭に立って導いて行かれる方であり、私達を救う為にすべてになる方。


 「私は羊の門である」通るべき門は他にはない。他に門がないわけではなく、あって、しかも通り抜けるのが簡単なものがあるのでしょう。そして、そちらの方が目立つのかもしれません。
では、一生懸命目を凝らして、努力してその門を通りなさいと言っているのでしょうか。
肝心なことを忘れてはいないでしょうか。いくらその門が素晴らしくても、その門も、その素晴しさも知る機会がなければ、誰かが教えてくれなければ通ることは愚か、見つけることもできません。羊飼いについても同じです。自分がその門を通るべき羊であり、その羊飼いに飼われている羊であることを知らなければ意味がありません。つまり、イエス・キリストを知らなければ…。


 「私を通って入る者は救われる」と言われた方がどれだけ私達一人ひとりを愛しておられるのか、ゆるしておられるのか…
父である神に至る道となり、門となってその関係を、絆を回復し、また人と人との関係をも回復し新たにして下さる方です。真に、相手を愛する為に、ゆるすためには、この方を通って行かなければならないでしょう。

キリストを知って、その愛を知って、ゆるしを知って、そして、ますます深く知ることができますように。

小豆島教会担当司祭
岩ア 武

 

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