ウィークリー・メッセージ 201644

 

待降節第2主日

 

 番町教会担当司祭  松永 洋司  

 

 週の日曜日、小豆島のカトリック教会ゆかりの地を巡ってきました。まずは小豆島教会でミサを捧げ、その後、高山右近の潜伏地を目指しました。

 途中、キリシタン縁の灯篭を見て、潜伏地といわれるところへ。しかし、中山地区を通り抜けてしまい、潜伏の地に足を踏み入れることは叶いませんでした。

 潜伏地といわれる里は雨の中でした。秀吉の目を逃れ潜んだ右近も目にした初冬の風情だったのではと思います。録を奪われ、無一物となり、小西行長を頼らざるを得なかった右近の心情を察しました。中山の里はパードレ・オルガンティノと共に、それまでの人生の振り返りの場、時となったのかも知れません。

 右近が生きた時代は、乱世、下克上、弱肉強食の時代でした。右近も時の権力者に翻弄されました。そんな中で、世の無常を感じたのかも知れません。そのため、お茶をキリシタン信仰のために深めていったのかも知れません。そしてそれ以上に右近が求めたものは、ゆるぎない平和だったのではと思います。

 預言者イザヤは告げます。「狼は子羊と共に宿り、豹は子ヤギと共に伏す。小牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛もひとしく干し草を食らう。乳飲み子は毒蛇の穴にたわむれ、幼子は蝮の巣に手を入れる。」まさに右近が待ち望んだ世界です。
 その時が来ます。洗礼者ヨハネが荒れ野に現れ、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と述べ伝えます。そしてヨハネのもとに来て罪の告白をした者にヨルダン川で洗礼を授けます。  ヨハネは自分の後から来られる方に言及します。「わたしは水で洗礼を授けているが、その方は聖霊と火であなた方に洗礼をお授けになる」と。
 ヨハネの使命は後から来られる方への橋渡しです。自分を主役とせず、あくまでも脇役に徹し、自分のところに来た人々をイエス様に向かわせます。そこにヨハネの潔さを感じます。ヨハネはイエス様を見て「見よ!神の子羊だ」といって、二人の弟子をイエス様のもとに送り込むような者だったのです。
 右近もヨハネと同じように人々をイエス様に導きます。秀吉の目を気にしながら仕えていたキリシタン武将の心をイエス様に向かわせました。何事においても「イエス様が一番」だったからです。それはパウロも同じです。パウロも「イエス様が一番」でした。全ての人を救われたイエス様だったからです。
 パウロはイエス様に結ばれた者として呼びかけます。「神の栄光のためにあなたがたを受け入れて下さったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい」と。そのしるしがキリストの体である教会なのだと思います。右近もそうだったに違いありません。領民の葬列に加わるような右近だったからです。そしてイエス様を挟んでのかかわりに、預言者イザヤの言葉の成就を見ていたのかも知れません。

                            番町教会 松永洋司

 

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