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司教館の窓から
2011.5.14〜5.19

5月14日(土)
 仏法僧という鳥が居る。鳴き声からのみ言っていると思っていたら、今日読んだ仏教解脱の中に、仏法僧というのは仏教が述べる三宝のことだとあった。仏は仏様のこと、法は仏様の教え、そして層は仏にすがる人たちの集会のことだという。仏を信じ、その情けにすがり、その情けに忠実に生きる人たちがつくり出すのが和合だというのである。
 十分にキリスト教にあてはめて考えてみることができる。三つの宝を大切にして教会をつくっていけば、世界の平和が生まれる。信仰に生きる人たちは、平和をつくり出していかねばなるまい。
5月15日(日)
  三本松ルルド祭27回記念ミサ。確かな人たちが集まり、盛大に行われた。元気もよし。ミサ後のうどんも流石六車流で美味しかった。私が司式することのできる最後のルルド祭である。一抹の感傷が残る。今年は司祭の顔ぶれが大きく変わり、次の世代を思わせた。また信者の層も変わったが。それにしても例年通り盛大に祝われたのは不思議である。ミサ後、名残が尽きない会話を諸所方々で多くの人とかわす。夕食はイン神学生がつくってくれた韓国炒飯を楽しむ。
5月16日(月)
 ナミュール・ノートルダムのシスター二人に夕食に招かれた。マンションに住んで教会に奉仕する姿は、新しい形での修道生活のあり方である。多くの人が集まって大きな業をするという形態から、小さく貧しく生きるという修道生活は、今の修道会を下から変えていくかもしれない。大きな事業を抱え、社会的地位を獲得して宣教するのと、少し異なっている。
去る日々や 額ににじむ 薄暑かな       修士
5月17日(火)
 桜町教会の婦人たちと雑談している中に、あるインスピレーションがひらめいた。先の日曜日、ルルド祭の中で仙台教区視察の報告を行ったが、その最後に物的支援のことについてふれた。この2日間で5通のメールが届き、具体的にはどうするかと問い合わせてきた。驚きと同時に、どうするかという戸惑いも覚えた。自分は今、後数日で司教館を去っていこうとしているのに、新しい仕事に着手できないという戸惑いである。M女子曰く、「サポートセンターを高松に立ちあげたらどうでしょうか」。これはまさしくひらめきである。被災地でない所にサポートセンターを立ち上げることは、思いつかなかった。これならやれそうだと心から思った。幸いにレナト神父も一緒にいて、センター長を引き受けてもよいとのことであった。さっそく教区の人々に知らせる原案書を書き始めた。四国の一隅から世界を照らす運動が始まることを期待している。
5月17日(火)
 「上求(じょうぐ)菩提(ぼだい) 下化(げけ)衆生」ということばに出会った。悟りに到るには、上を求めて仏の心に出会い、この世界にどっしりと根を張って生きることをさす。東北、北関東の大災害の実態が分かるにつれて、今のままでは駄目だという思いが増す。それにしても不可思議な出来事が続くものである。こういう時にこそ、上を求め身を浄め、人々の中で泥まみれになって働く宗教家が求められているのだ。「下化」といは御子イエスが人のかたちをとって現れ、人々のために自分の全てを捧げたその意味を、適確に表していると思う。
 「高松サポートセンター」立ちあげの宣伝文を書く。世界の一隅を照らす光りとなってくれることを願う。
5月18日(水)
 多くの慰労のメッセージが届いている。「去るものは日々に疎し」――。淡々と去ることが大切だ。そしてまた、次の課題に向かって歩む情熱と。過ごしたこの日々、悔いはない。しかし口惜しさは多分に残る。まだ無常の真価を悟っていない。凡人の域を出ていない自分がある。
5月19日(木)
 事務所の女性職員と昼食を共にする。7年前事務局長と司教を兼ねて行っていた頃を思い出す。やはり難しい時代であった。知らない土地で知らない現場に突然投げ込まれると戸惑いがあるものだ。事務局長の一番大きな仕事は文書を作成し、議事録をまとめ整理する役割がその一である。同様に司教の意向を受けて教区の動きを活性化して行く役割がある。彼を補佐するのが教区会計である。司教、事務局長、会計の三役がうまくつながっていれば、どんな困難も乗り越えられる。どれかが突出すると、足並みが乱れて実りが少ない。司教を悪役にしないために、司教総代理の役割がある。司教が留守の時も、総代理を入れて三役が機能していれば、教区は万全である。

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