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司教館の窓から
2011.4.28〜5.5

4月28日(木)
 氏家神父より電話あり。仙台教区で新しいスタートをきったようである。大変なところに戻って行ったので今から苦労も多いことだろう。彼のために祈った。それにしても、高松ではよく頑張って働いてくれた。特に青年や子供たちのためには骨身を惜しまなかった。それによく慕われた。また、司祭の共同体を積極的に支え、温かい空気で和ませてくれた。感謝している。ただ、椅子を3つ壊したのは記録に残る。体重がかかったのだろう。今、司教館のメンバーは変わった。末男神父が去り、シスターギリスが去り、私も去る。そして新しい人たちがやって来た。どんな雰囲気をつくっていくだろうか。
4月29日(金)
 朝から4人の若者に手伝ってもらって、部屋の大掃除をした。窓もきれいに拭かれて、外の光がさんさんと降り注ぐ部屋になった。トイレの床はカビキラーでこすり、きれいになった。若者たちの動きは早い。驚くほどで、羨ましい限りである。
 仙台で知り合ったY君が訪ねてくれて大掃除に参加した。大阪のMさんは丁寧にトイレを磨いてくれた。この若者たちと知り合いになれ、この年になってまで大事にしてもらえることはなんと幸せなことだろう。
 夕食は外食―。話が弾んだ。嬉しい一日であった。それにしても去る日が近い。
4月30日(土)
 4月もこれで終わる。弘前の桜は今が見頃だろう。まだ寒い中を桜を見に行って、ひどい熱を出したのを思い出した。
 マルコの福音書の最大にテーマは新しい時代の到来ということだ。イエスとともに新しい時代が来ると洗者ヨハネが呼ぶところから物語が始まる。新しい時代ということをイエスは行動で示す。皮膚病を患っている人を癒し、罪びとと呼ばれていた徴税人や罪の女性たちと親しく交わっていく。
 彼に反対する人達はイエスに論争を仕掛けていく。主に2つ、安息日論争と神殿論争である。安息日が絶対であり、人を許すのは二の次だというこれらの人の考えに、イエスは真っ向から対立する。神殿を究極的絶対とする人々に向かって、イエスは「人の手で造った神殿」は何の意味もないと言ってのける。この神殿論争こそ、彼を死に追いやるのである。「神殿を打ち壊せば3日で建てる」と公言したために死刑の宣告を受けるのだ。
 イエスは神殿の向こうに開かれている世界を見ている。神殿を守り抜こうとする人々よりも、新しい時代は神の霊の息吹によって活かされる人々によってつくられるのである。ユダヤという国やエルサレムの神殿にこだわっている人々には、新しい世界は約束されない。その神殿の向こうに、無限の地平線が広がっている。
 ディディモのトマスはイエスの復活を疑っていた。その彼にイエスは言う。「見たから信じるのではなく、見ないで信じる人は幸い」と。神の息吹によって生まれ変わった人達は、目には見えない、しかし本当の兄弟愛に目覚めた共同体、教会をつくっていく。生き生きと社会に開かれていく教会をつくって行くのである。
5月1日(日)
 番町教会で最後のミサ。家庭的な雰囲気で一時を過ごす。よく歌い、よくしゃべった。良い教会だ。
 高知に行き、最後の荷物を運ぶ。秋田からY君が来ていて、一緒に作業する。ヒロメ食堂で高知の青年とわいわい騒ぐ。
 鷹匠公園で「愛ず人が居るから花が咲く」という句を見た。「愛ず人が居なくても咲く花がある」と自分なりに詠んでみた。人が見ていようがいまいが、花は美しく咲くものだ。美しい鏡川の流れに沿って小一時間歩く。のどかで、そして静かな宵―。
5月2(月)
 昭和維新の会とか運動とかがやたらと目立つ昨今である。少なくとも表面的には今の日本では駄目だという意識が、国内に流れているのであろう。維新が行われるには何が必要なのだろう。まず第一には、志を持つことである。志を持つには何を目的として歩むかを、はっきり意識しなければならない。これをしたい、しなければならないという認識なしに維新というものはあり得ない。どんな国を、どんな教会をつくりたいかという認識が先決である。ついで、その志を全うするための決意と屈しない意志力である。どんな教会をつくりたいかと問いかけ、その実現に向かって歩むことである。維新、維新と叫ぶ割には何の進展もないとすれば、意識と決意が不足しているのだろう。
5月3日(火)
 Kが来て、今までコンピューターにあった資料を全部フォルダーに分けて一つのフロッピーに入れる作業をしてくれた。ものの2時間余りである。全ては合理的に迅速に終了する。年取った私など、ついていけない世界に時代となっている。残りご飯をチャーハンにして一緒に食べた。次の時代はどんな時代なのかとつくづく考える。
 黄砂が空いっぱいに広がっている。どのようにしてこの砂がこんな遠いところまで舞ってくるのだろうか。自然の不思議、自然の驚異、両方を考えさせてくれる昨今である。
 ビン・ラディン死亡。憎悪の繰返しでは、何も新しいものは生まれない。彼の魂よ、安らかに!
5月4日(水)
 コンピューターのデータを整理していると、懐かしい文章が多く目にとまる。司教に就任した時、こんな心境だったということを考えさせられる。あれから11年、東北は人間のわざを打ち砕いた自然の災害の中にある。
祈りある生活へのおさそい
「常夜灯 北の港の 守護固し」   石渡谷 直子
 右の句を一人の方が私の叙階式に合わせて贈ってくれました。「常夜灯」ならぬ「昼行燈」に過ぎない私がどうして「守護固く」仁王立ちできるのか、甚だ疑問です。しかし、考えてみると、余り力まないことが大事なのでしょう。今まで仙台教区はこのようにして、ここまで発展してきたのですから、これからも、きっと何とかなるはずです。ただ、「北の港」だけは大事にしていこうと思っております。心があるところ、「そこに宝がある」と聖書に言われている通りですので、私のあるところ、「そこに仙台教区あり」という生き方をしたいと肝に銘じているところです。

 力まないで祈る。私たちは世俗化された社会の中で生きています。もう止めようのない大きな流れとなって、お金が全て、経済で世界が動く、従ってこの流れに沿わないと時代遅れだと考えてしまっています。要するに、生きるために基準は人間にあるという考えです。はや、神様とか人を超える力とかを信じないのです。
 教会もいつの間にか、自分達の働きで何かをすることに心を奪われ始めました。一生懸命に活動し、疲れきって毎日を過ごします。はやそこに祈りはありません。いつ行ってもがらんとしている聖堂がその象徴です。朝夕の祈りの習慣、短い射祷、聖体訪問など、すべては忘れ去られています。仙台教区で私が最初に言いたいことは、「この教区には祈りがある」と自信を持って言えるようになることです。幸いに祈りに全てを捧げている観想修道院が教区には二つもあります。これは最高のお恵みと私は信じています。

 私は、私に与えられた任務を前に、まず力まないで、主に任せて行動することを今誓っているところです。
年の終わりに
                          溝部 脩
 5月5日(木)
 東京教区の司祭の黙想会の準備をしている。マルコの福音書を一冊手許に残して、もう一度はじめからゆっくり読み上げている。多くのことに気づく。弟子たちは、先生が世界を視野に入れた宣教を考えていることに全く気づかないこと、旧来のものを守り通そうとするイエスの反対者のことなど、現代でもそのままあてはめて考えることができる。
 一通の手紙を今日頂いた。列福運動などという裃を脱いだらよいという趣旨のものであった。一方的な論理と、人を激しく非難するというやり方には、私は賛成できない。人は夫々その時代の制約の中で生きているのであって、その限界の中で生きる人生であることを知らないといけない。かく言う私も、50年後厳しく裁かれているかもしれない。

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