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司教館の窓から
2011.3.28〜4.8
3月28日(月)
 昨日は大阪玉造教会で黙想会の指導を行った。「祈り」の必要性、そして祈りとは何かということを黙想できたのはよかった。司教の任務を解かれた安堵感からか、容易に話せたのは嬉しかった。感謝するこころ、過ぎ来し方をふり返るこころ、そして今を生きる霊性、全てが素直に納得できる聖書の教えによる祈りである。
 ポツポツと桜がつぼみをつけている。希望の春でありますように。
3月30日(水)
 京都教区保育者研修会の講師として招かれた。一つ一つの幼稚園は小さく見えても、こうして集まると大きな力であると感じる。300名以上の若い人達が居て、話をよく聴いてくれた。やはり幼稚園は大切にしなければならない。信仰心がカトリック教育の基本であることを、徹底して主張したつもりである。宗教心なくして、カトリック教育の実現は不可能である。教会も単に事業をもつのではなく、それをいかに活性化できるのか、真剣に取り組まないといけない。
3月31日(木)
 とうとうカトリック新聞に新司教の発表が載った。部屋の整理は遅々として進まない。手紙の一つ一つ、写真の一つ一つに愛惜が残る。今は日記も含めて全てを片づけている。人生の最後の準備を始めるためには、過去の多くを切りとっていく必要がある。それにしても多くの人と出会い、そして親しくしてくださったことに感謝しよう。共有した時間があったこと、これは最高の喜びである。新司教のこれからの働きの上に、豊かな主の恵みがあることを願って――。
4月1日(金)〜3日(日)
 マリアの家で11人の青年と沈黙の黙想を行なった。種蒔きのたとえ、サマリアの女、パンの増加、そして金持ちの青年と、4つの福音の箇所を深読した。食い入るように聞いてくれる青年達のまなざしは新鮮である。彼らを教会の小道具にしてはいけない。人生をかけて生きる宝が教会にあることを、気づかせないといけない。その教会がどろどろとした欲望に埋もれていて、光を放っていなければ、彼らを引きつける力とならないであろう。イエスは金持ちの青年も、サマリアの女も、しっかりと目を合わせて見つめていた。しかし、そのまなざしを受けとめたのは、深い傷をもつサマリアの女であった。
 4月4日(月)
 整理に追われている。一つ一つを見直しては破り捨てている。少しずつ去っていく気持ちが固まっている。同時に、この数年間自分がしたことの意味を問うている。真の評価は、50年、100年後の歴史が判断することであろう。たとえそれが否定的評価となったとしても、自分がよしと思ったことに悔いを持ってはならない。
 4月6日(水)
 高知で土佐神父が亡くなった。生涯を市井に生きることを選んだ宣教師であった。ベルギーから日本に帰化し、愛する高知をその名に選んで土佐とした。日本式の一軒家に住み、大学で教え、周りの日本人と親しく交わった。初めて彼を訪問した時、旧式のトイレでお返しが来たのには閉口した。会う度毎に辛口の批判を貰ったが、その実、愛情のこもったユーモアたっぷりの批判であり、決して人間関係が崩れるものではなかった。土佐を愛し、社会の不正ということに高い意識を持った司祭であった。葬儀もミサではなく想い出を語るものにしたと聞いて、最後まで彼らしいと思った。生前、私をつかまえて何度か「ぼくの葬式にはミトラをつけてくるなよ」と、にやりとしながら言った。司教のミトラとか牧杖とか、嫌でたまらなかったのだろう。一人一人大切な司祭が去っていく。惜しまれてならない。
 4月8日(金)
 被選司教の叙階式日程要項について、最初の会合が開かれた。みなで喜びをもって準備しよう。司教は司祭団の要であり、信者の牧者として立つ人間である。大切なのは司祭団が司教を中心にして働くということで、これがカトリック教会の強みである。バラバラに個人の主張のみをするようになると、カトリック性が失われる。最近教会の民主化の傾向が強いが、カトリック教会は司教を中心として結集する教会だということを忘れてはなるまい。私は多くの心ある司祭たちによって守られ、司教職を終えようとしている。この司祭達に心から感謝している。

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