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司教館の窓から
2010.10.7〜10.14
10月16日(土) フェリペ神父帰天
 フェリペ・ミゲル・ガルシア神父の葬儀が松山教会で行われた。生涯を、愛光学園と日本の教育にかけた人生であった。抽象的宗教論が横行する中で、現代の社会に寄与する人材を多く送りだしたその生き方に、私は共鳴する。カトリック学校を否定する人たちに対して、この生き方は何よりの返答である。学校関係者の参加が多かった。
 日本人として私達は、外国から来て日本の教育に携わって下さったことに、感謝しなければならない。少しはにかんだように笑う、フェリペ神父の笑顔は美しい。宣教は格好良さではない。一つのことをやり遂げていく信念である。多くの理屈をこねて、結局他人に仕事を押し付けていくことを、慎まないといけない。
10月17日(日) 高知地区県民の集い
 高知地区県民の集いの日、江ノ口教会は多くの人で埋まった。「どんな教会でありたいか」の質問に、一生懸命に答えている信者さんの姿に頭が下がった。
 三年計画での教区再生プログラム、その第一歩は、はや踏み出された。たった六年の短い、そして長い年月であった。右も左も分からない状態から、よくもここまで来ることができたという実感がある。
 真剣に意見を出し合っている姿に、感動さえ覚えた。高松塾の三人を連れていく。それなりの印象を、人々に与えたことだろう。「いない、いない」「来ない、来ない」の嘆き節から脱皮する第一歩。それは信頼して、多くを任せていくことにあるのだ。夜は、ひろめ市場でかつおを食べる。夜の賑わい、適当な疲労感、そして、一日を終えた満足感が、帰りの車中での快い眠りをさそう。
10月18日(月) 時の流れ
 高山右近の二男が、その母とともに、大分の大友義統を頼って落ちのびたという。その子孫が高山姓を名乗っている。分かりにくい事情である。一日、金沢と大分の家系図とにらめっこして過ごした。
 S.Aの結婚式の写真が、メールで送られてくる。仙台時代、あんなにお茶目でキャッキャしていた娘も、花嫁となった。こうしてまた、世代が大きく移り変わっていくのだろう。それにしても、美しく成長したものだ。不思議でならない。高松に初めて訪ねてきた時、バスの運転手さんに「りつりん公園」を「くりりん公園」と言って爆笑を誘ったという話を想い出す。
10月21日(木) 「歴史秘話ヒストリア」
 NHKの番組「歴史秘話ヒストリア」で高山右近をとりあげる。今日、その録画どりが行われた。約3時間の長いインタビューとなった。右近の十代の少年の頃の出来事である和田惟長事件から始まり、織田信長と荒木村重にはさまれての決断の事件、ひいては秀吉の命令に対して、断固として従えないとの意思表示を行ったことなどが、インタビューの主な内容であった。
 この3点に関して、私自身も、随分勉強する機会に恵まれたことを感謝している。右近はこれらの事件を通して、人間として成熟し、信仰を深めて行った。信仰は、一度に与えられて、人を変えるものではない。ゆっくりとその人の中に入り、中から変えていくものなのである。それにしても疲れた一日となった。

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