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司教館の窓から
2010.10.3〜10.7
10月3日(日) 起工式
 昨日、三本松に於いて有料老人ホームとデイ・サービスの施設の起工式が行われた。アイ・ディー・エムの理事長の阪本一樹先生は、団塊の世代の定年退職が増加するにつれ、老人の世話を家庭で行うことの困難を話された。まさに老人社会となりつつある日本の現状が、浮き彫りにされている。同時に、阪本先生が言う地域社会への奉仕を心がけるという視点に賛同できた。教会の宣教と言いつつ、内輪で仲良くしているのでは、教会は滅びてしまうだろう。
10月4日(月) キリシタン時代の教会
 1574年当時の高槻教会について、イエズス会宣教師ルイス・フロイスは詳しい報告を行っている。司祭は京都より訪れ、ミサをたてて説教を行ったという。ミサ中でなく、ミサの後で説教をするという意味を考えたが、これは、ミサを立てるのは司祭で、説教をするのは、同宿と呼ばれるカテキスタのことなのである。人々に教えるという仕事を、カテキスタが担っていた。
 司祭が不在のことが多いので、教会委員を4名任命し、彼らは教会の運営を担った。求道者が信徒の世話、埋葬、貧者の世話、来客の接待を行った。日に2度、教会で祈りを先導し、訓話を行った。
 キリシタン時代の教会の発展はまさに信徒が教会を自ら運営していくところにあったのが分かる。
 一考の余地あり!
10月5日(火) ソロモン島ガダルカナル
 コックさんがお休みで、昼を高山さんが作った。恒例のカレーライス。いつだったかカレーライスとライスカレーの違いを聞いたように思うが、覚えていない。
 野村謙介君が、ソロモン島ガダルカナルで生活するため高知を後にしている。この島でのサレジオ会宣教を始めたのは私だった。サレジオ会総会で、全ての管区は新しい土地に会員を送り、サレジオ会の拠点をつくるという方針を打ち出したからであった。
 私はその時、日本管区の管区長であった。ガダルカナル島は、日本が最初に敗戦した場所であることは知っていたが、そこがどんなところかは全く知らなかった。ガダルカナルのスミス大司教の熱い招待があり、最初に訪れたのは1992年のことであった。 電気もないこの土地でどんなことができるのか、迷った末での出発であった。
 あれから20年近く、現在、2つの訓練校、1つの大きな小教区と事業に発展している。全て計画されて何でも分かった上で事業が始まるのではない。迷いつつも、とも角行動してみることが大切なのだろう。謙介君は自信をつけて帰ってくることを期待している。
10月6日(水) 「歴史秘話ヒストリア―高山右近―」 
 12月1日放送の「歴史秘話ヒストリア」で、NHKは高山右近について扱う。桜町教会のミサも録画することになっている。昨日、右近の生涯の中で絶えず問題とされた三つの点についてのインタビューを受けた。
 右近の生涯を徹底して読む良い機会が与えられた。一日中まとめをつくっている。それにしても、先人たちはよく伝記を研究してくれたものだ。感心する。また感謝する。右近とて時代の人、その時代の常識とされる慣習を背負っていかねばならなかったのだ。
 涼しくなり、夕方の散歩を再開。
 10月7日(木) 司祭集会
 塩江さぬきホテルに於いて司祭集会。長く司祭の集まりができなかった教区だが、ようやく司祭達が一堂に会するようになった。大きな進歩だ。司祭達が同じ志を持たなければ教会の刷新は決して成らないものだ。大阪教区の有馬神父の話はとても良かった。特別なことは言わなかったが、熱い心で語ったのが印象深い。問題は情熱なのだろう。

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