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司教館の窓から
2010.9.7〜9.9
9月7日(火) 『現代人の仏教』を読む(1)
 ここ数日、鎌田茂雄著の『現代人の仏教』という本を読んでいる。後50頁ほどで完読する。まとめをつくりながら、仏教の根本的考えを理解するように努めている。「諸宗教者平和懇話会」の会長であり発起人である私が、仏教を知らないということは、やはり納得がいかないからである。それにしても、仏教の本を読みこなすのは、精力が必要だ。言葉が難しいし、スパッと切れる論理の形がないからである。キリスト教的というか、西欧的思考法で今まで学問をしてきた私にとっては、やはり難解である。それでも、忍耐して繰返し読むうちに味わいが湧いてくるのは、私がやはり日本人の故以だろうか。
9月8日(水) 『現代人の仏教』を読む(2)
 「ただわが身を心をもはなちわすれて 仏のいへになげいれて 仏のかたよりおこなわれて これにしたがひもてゆくとき ちからをも入れず こころをもつひやさずして 生死をはなれ 仏となる」(道元『正法眼蔵』)。
 全てを捨てて仏にすがる信仰、これにより仏に成るという。考えてみると、何とたくさんの執着心を以て生きていることだろう。これら全部を投げうってすがる心になれば、何の心配もいらないのだろう。「仏に成る」とは、まさにキリストの似姿になることか。
9月9日(木) 一茶
 「ともかくは あなたに任せて 年の暮」
 一茶の句である。この年、一茶は最愛の妻と娘を失った。しかし、こんなことがあっても、愛憎の地獄に陥ることなく、正月を迎えようとする。「ともかくは」の中に、一茶の家族への想い、人生への哀愁がにじんでいる。それにしても、「あなた、阿弥陀」さまに任せて、なるようになると自問自答しているのがいい。年が暮れ、人生も終わりに近づくことを感じつつ、一茶は「ともかくは」この一年のことに頭を垂れてみようとしているのであろう。一茶の人格が彷彿とされる一句で、実に味わい深い。

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