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司教館の窓から
2010.8.8〜8.13
8月8日(日) 平和旬間のミサ
 平和旬間のミサが桜町教会で行われた。第一朗読は韓国語、第二朗読はタガログ語、福音は日本語、説教は日本語と英語と多様であった。
 答唱詩編を杏菜ちゃんが歌い、ミサが一段と印象付けられた。ミサをどのように生き生きとしたものにするかを、真剣に考えてほしいと思う。いつもの通りという姿勢が、最大の敵である。最後に、フィリピングループが歌ったのがよかった。ただ、帽子をかぶっていたりしたのは、祈りというより演奏という意識が強かったからだろう。
8月9日(月) 平和コンサート
 8日の日曜日、午後4時から「平和コンサート」が開かれた。詩の朗読と歌唱が良く合っていて、平和への願いをよく表していた。このようにして、下から盛り上げていくと、教区は大きく動くものだ。最後に、「キリシタン時代の音楽教育」という話を10分行った。的外れだったかもしれないが、知識欲は満足させたかもしれない。
 コンサートが終ってから、一同で振り返りを行った。皆の顔が輝いて見えた。
8月10日(火) 中学生練成会
 桜町と三本松の中学生の夏の練成会。青年達が中心となって、よくまとめた。午前中の海での遊び、バーベキュー、午後のカテケ―シス、ゆるしの秘跡、そしてミサ、と一杯の一日だった。皆が嬉しそうに帰っていったのが印象的であった。
 若い人がいきいきと働く姿は、見ていて楽しい。子供たちの心をつかむためのノウハウを伝える使命は、サレジオ会にあるのだろう。サレジオ会から助けてもらいたい、とつくづく思う。
8月11日(水) 見舞い
 下田神父が血栓ということで、足が膨れ上がり、急遽入院。見舞いに行くと、「申し訳ない」と何度も繰り返した。長く教区のために働いた神父である。その間、迷いも挫折もあったろうと思うが、それでも、迷惑をかけてすまない、と言っている。素晴らしい先輩を持ったと確信する。
8月12日(木) 信徒のまじわり
 キリシタン時代、ミサ後会食が行われる習慣があった。それを、教会の中で食事をしながら長くしゃべっている、とフランシスコ会の司祭が非難した。キリシタン達は、イエズス会の司祭が許したからやっていると弁明した。聖なる場所で飯を食べているのはけしからん、と片方は思ったのであろう。もう一方は、ミサ後のアガペーは信徒の交わりのために大切と考えたのであろう。昔も今も、同じ論争を繰り返している気がしている。
 都の教会には、聖堂の真ん中に釜が置いてあり、常時湯が沸いていたという。聖堂を訪れる者は、お茶を頂いて行ったのだろうか。安土のセミナリオの一階には、修道士が居て、お客の接待にお茶を饗したという。現代、忘れた優雅であろう。バリニャーノ神父は、「日本人は聖堂を美しくし、そして騒々しくしない」と述べている。教会で食事をしたことと、騒々しくしないということが、どう合致するのか理解し得ない。原文では、「caximaxicusesu(かしましくせす)」となっている。
8月13日(金) 長寿大国?
 老人の死が多く報じられている。長寿大国日本は、実はいつの間にか既に死亡した人も数えての数字だということ。開いた口が塞がらない。私も後期高齢者の仲間入りをしたが、保険金と税金が3倍に跳ね上がった。目に見えて感じる政治の冷酷さである。そんな事とは知らずに投票した自分が悔やまれる。教会にお布施を出している信者の人の負担は大きいだろうなと思う。人生流転、色即是空―。しかし、これらの理論は、生きる術を完全に失った人には、伝えても伝わらない。恵まれた人の、独りよがりの悟りにも見える。

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