2010.7.4〜7.10 |
7月4日(日) 結城了雪の祝いが阿南の教会で行われた。その準備にあたっていたシルバー神父は転んで骨折、救急車で病院に運ばれた。あれほど楽しみにしていたのに。人生の皮肉さ! 結城神父の中学時代のことを、文献を紹介しながら話した。十代にして人生の厳しさを学んだ中学生活であった。大坂より生月へ、生月より長崎、有馬と転々とした。若者は、苦しさの体験を通して自己を確立して行くのであろう。わが子を旅立たせることは、親の大切な勤めなのだろう。 |
7月5日(月) 長崎平戸市の田平教会から、ご婦人が二人見えた。田平のご婦人は、以前田平教会にあったステンドグラスを寄贈して下さった。それを使って東北の青年が、桜町教会の窓をステンドグラスで飾った。その青年の母親が、自分の息子の作品を見に訪れたのであった。東と西の人の初めての初めての出会いは、田平教会のステンドグラスにあった。忘れ去られて捨てられていっても不思議でない廃品は、今、桜町教会と司教館に燦然と輝いている。 ![]() |
7月6日(火) 「年々にわが哀しみは深くして いよよ華やぐいのちなりけり」(岡本かの子) メディアからちやほやされ、女流作家として絶頂期にあった岡本かの子の心の中が見える句だ。華々しさの陰に潜む哀しみ、これは年とともに増大していくのか。 私も、講演会の連続の年月に終止符を打とうとしている。哀しみを深くして、その底に、神にすがる一筋の光明を見つけたいものである。 |
7月7日(水)七夕 隣の幼稚園では夕涼み会が開かれている。それにしても雨ばかりのこの頃だ。しとしとと降る雨に私に苦情はない。ただ、時々怒り狂ったように叩きつける雨の前にたじろいでしまう。何か神さまが、私たち人間に怒っている気がするからだ。参院選たけなわ ―話していることばが空しく聞こえるのは、私のみだろうか。むしろ自殺者3万人を下らないという今朝のニュースの方が胸を切り裂く。 |
7月8日(木) 現在、司教館は若者で賑っている。韓国から二人神学生が来て、日本語を学んでいる。明るい彼らは、司教館の雑事を喜んでこなしている。他に二人、この10年間に世界青年大会に参加した青年も同居している。彼らを訪ねてまた多くの若者が訪れ、食べる米の量は拡大するのみ―。ガランとした司教館より、活気に溢れた司教館の方を私は好む。 |
7月9日(金) 織田有楽斉は高山右近の茶を評して、「清すぎる」と言った。有楽斉の持論によると、茶は清濁併せ呑むものだということであった。有楽斉は如庵という茶室を、現在の有楽町に設けた。右近は茶室と周辺を掃き清めて自然をなくしたというのが、彼への有楽斉の批判であった。 右近の茶は「清々しさ」を何よりも大事にした。右近にとって茶室が神との語らいの場であり、友との交わりの場であった。そこは一点の汚れもあってはいけない場なのである。戦国時代を生き抜いた武将は、茶の師匠として権力に屈して生きるより、自分の意思を貫徹することを選んだ。今の私には、右近は最大の魅力ある人物である。 |
7月10日(土) 塩江の黙想の家は静寂そのものだ。高松より2、3度温度が低く、気持ちがよい。応接間に座り禅を組むと、幾種類の鳥の声が聞こえて、川のせせらぎ、風が運ぶ心地よい香り、無上の境地である。是非一人になって、黙想の場として使用されることをおすすめしたい。その上、塩江温泉が家についているので、体をほぐすためにも役立つと思う。使用料は気持ちだけをおいてくれればそれでよい。 ![]() |