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司教館の窓から
2010.6.28〜7.4
6月28日(月)林尚志神父語録(7)
 「イエスは地下活動家(クランデスタイン)である。」
 考えさせる表現だ。まともに正論を戦わせてもこの世の論理には勝てない。時々潜ってでも、人間のあるべき姿を探ることも必要なのかもしれない。
 辺見庸曰く、「こんなデモをしても世界は変わらない」。病床にあった彼の付き添いの女性は、マザーテレサの本をそっと置いた。そして彼は、「こんなやり方こそ世界を変える」という論文を出した。小さな宣教、大きな成果。
6月29日(火)林尚志神父語録(8)
 「写経をなぞりたい(沢田和夫)」
 聖書のことばを自ら書き写してなぞっていく中で聖書が読める。本当だ。

 「ペトロはユダが出て行った時に、俺も一緒に行ってやろうとは言わなかった。」
 あの時、ペトロが一緒に行ってやろうと言っていればユダは変わっていたのかもしれない。
6月30日(水)林尚志神父語録(9)
 「マカンナシ」(ご飯ある?)とはマレーシア語のあいさつ!
 まず、ご飯を食べたかと聞ける人物になれば、交わりが生まれる。
 そこから、宣教が始まる。

 「飯は天だ。共に飯を食べるところに天がある」(金芝河)
 福音書の中に食卓を囲む場面の何と多いことか。イエスの集団は断食集団ではなく、食卓を囲む集団なのだ。共に食べ、語り、交わり、一つの共同体をつくっていく。徒にキリストを主張し、自らを鞭打ち、長い祈りに時間をかける、そこから開かれたコイノニアが生まれるとは思えない。教会はもっとシンプルで簡素であるべきだ。
7月1日(木)林尚志神父語録(10)
 「嫉妬は他人の善を喜べないこと」
 女偏が二つあるが、男も十分嫉妬深い。他人がすることに難癖をつけては、ことがうまく運べないようにする。曲がった根性だ。

 「嫉妬心と過度の批判は神に至らない道」
 結局は自分の考えが絶対だからだ。「絶対への信仰」は人類を駄目にする。
7月2日(金)林尚志神父語録(11)
 「教会はネットワークづくりを真剣に考える時が来ている」
 沖縄である修道院を訪ねた時、林師はどこに修道院があるかと尋ねたが誰も知らない。一人の小さな男の子が「神さまのおばちゃんのところ」と言って教えてくれたとのエピソード。地方の修道院が燦然と輝いて見える。門を構え、肩をいからしているように見える教会や修道院があるとしたら、少し反省する必要はなかろうか。

 「余分なものを分け与えるのではなく、何よりもまず、生活様式や生産と活動のモデル、そして今の社会を支配している既成の権力構造の変革が必要です」(ヨハネ・パウロ2世)
 まず、私自身の生活のスタイルを変えるところから。

 「形が変わっても志を貫く」
 時代は変わる。しかし、福音の志を決して変えてはいけない。
7月3日(土)
 先週、少年時代の遊び仲間の一人であったSを見舞った。小鳥の鳴声ですぐ鳥の種類が分かり、メジロ採りでは日本で一、二を争う男だった。司祭になって初めて大分教会に赴任した時、フグを食べに連れて行ってくれた。
 病室に入ると私の名前を言うまで何の反応もなかったが、その中に気づいて、おっと手をあげた。筋肉質であった彼の腕と足は細くなっていた。何か名前の難しいガンで全身に転移していた。手の施しようがないという話であった。聖体を授けると涙をこぼした。酒を一緒に飲んだなあと感慨深げだ。手を強く握って病室を出た。奥さんが同じように彼の手を強く握っているのが見えた。奥さんが手をさすると「主あわれみたまえ」と繰り返すそうだ。深い想いに私は捉われて病室を後にした。共に遊んだ昔をほんの少し前のことのように感じて。                             
7月4日(日)
 諸宗教対話と言うことで、四国では「宗教者平和懇話会」なるものを開いている。仏教関係の人達と実に親しい交わりをさせて貰っている。ここで問題に感じるのは、キリスト教と他の宗教との神学的考察である。これまで教会はカトリック教会を通さないと救いがないと主張してきた。キリスト教諸派を考慮に入れて、イエス・キリストのようにならなければ救いがないという言い方にまで引き下げては来た。この考え方だと、キリスト教以外の宗教は、何らかの形でキリストによって補充されなければ救いがないということになる。こんなことを他宗教の人々に、おくびにも出すことはできない。

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