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司教館の窓から
2010.6.20〜6.27
6月20日(日)
 丸亀教会の堅信式が今日あった。6人の中学生のうち、4人はご両親がペルー人、1人はペルー人と日本人がご両親、そしてご両親とも日本人が1人。
 参列者は100人くらいで、小さな聖堂は一杯であった。日本語、英語、スペイン語が交錯するミサで、ここにこれからの日本の教会の姿があるような気がする。今までの日本の教会は、メタノイア、つまり、ものの見方を変えるときに来ている。ミサ後、日本男性とフィリピン女性の仲のよい夫婦と話した。心がなごむ。
6月22日(火)林尚志神父語録(1)
 6月21日より26日まで高松教区司祭と広島教区司祭と合同で大阪の売布御受難会黙想の家で年の黙想を行っている。黙想指導はイエズス会の林尚志神父。実に面白い説教である。その語録からいくつかとり出して解説を加えよう。

 「若者の反乱の無い所に死臭がする。年寄りの反乱の無い所に諦めの砂漠が広がる。」
 死臭漂う教会にしてはならない。砂漠に甘んじてはならない。自省の辞。
6月23日(水)林尚志神父語録(2)
 「どんな不幸を吸い込もうとも吐く息は感謝!」(河野進さんの詩より)
 「その日の苦労はその日で足りる。」
 不幸だ、不幸だとつぶやかず、ありがとうで一日が始まり終わりたいものだ。
6月24日(木)林尚志神父語録(3)
 「向き合えばいのち流れる。」
 人と向き合っていのちが流れるという実感のもてる人生でありたい。

 「現実にコミットしない理想主義者、理想なき現実主義者、これを中庸、中庸と呼ぶ。」
 実に痛いことばだ。座して正論のみ吐いていてはいけない。夢を忘れた老人になってはならない。なんとかせねば。

 「神さまはもっと大きい」(Deus maior est!)
 なんとかせねばと考えずに「あの方」にすがる信仰を深めることだろう。
6月25日(金)林尚志神父語録(4)
 「弟の家の冷蔵庫を開けてビールを飲んだ。弟の子曰く、おじちゃんお祈りしないね。」
 林神父のその時の顔を想像すると楽しくなる。子どもは率直で楽しいものだ。
6月26日(土)林尚志神父語録(5)
 「稀少種を絶滅させるな。」
 年寄りは人生の知恵を持っている宝だ。もっと年寄りの生き方に聞いてはどうか。さて、私も年寄りの部類に入るのだろうか。

 「教区には若手の司祭が4人いればそれでもいい。後ろに稀少種司祭が聖体ランプになっているから。」
 後期高齢者になり、我が人生のスタイルも変えなければいけないと実感する。稀少種となる年の取り方をしてみたいものだ。
6月27日(日)林尚志神父語録(6)
 「相手の可能性をONにする。これが愛。」
 いつも相手をOFFにするいやな人間になってはいけないのだ。

 「売布福音食材工房、つまり人一人がシェフであり、皆が食材を提供する。黙想会は一方通行ではない。」
 一方的に語ることの何と多いことか。内省する。

 「一つの絶対化の侵略。」
 実に実り多い黙想である。痛い所をきちんとついて貰って黙想できる。

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