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司教館の窓から
2010.6.13〜6.19
6月13日(日)
 先週の金曜日にカトリック大阪教会管区の司祭の集会が大阪のカテドラルで行われた。参加者は100人以上であった。自分たちが司祭として生きたことに対する感想を述べ合い、現在の日本の教会への希望が熱く語られた。88才の宣教師が、今なお次の世代に希望をかけ続ける思いを語ったときには、深い感動を覚えた。混迷の時代にあるからこそ、宗教家が宗教家としての誇りをもって生きていかねばならない。
6月14日(月)
 私に親友と呼ぶ人が二人いる。ともにイタリアで哲学、神学を学んだ仲間である。尻枝正行神父はローマに残り、バチカン市国諸宗教対話局で次官を20年務め、3年前ローマで亡くなった。中垣純神父は典礼をアンセルモ大学で学び博士号をとった。実に緻密な頭の持ち主であった。現在のミサ典書の祈願文を訳した人物である。晩年は難病を抱え、苦しんでこの世を去った。
 当時留学していた日本人3人のうち、私一人のみまだ生きのびている。凡庸であった私が残り、優れた二人は早逝した。神さまは何をお望みなのだろう。
6月19日(土)
 今年の司教総会も終了した。典礼の問題に終始した総会であった。どうしてラテン語原文にこだわるのか、日本語の訳をどうしてこんなに綿密にするのか、いろいろ疑問が残った。公式の祈りにあまりにこだわって、それが日本語表現から離れた文章になると、祈りの実感がわかないのではなかろうか。典礼の祈りは神学の要約であるというが、それだけではあるまい。こんな面でも、地方教会が自立して発言していく必要があると感じる。

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