2010.6.6〜6.11 |
6月6日(日) 桜町教会で四国4県10チームが集まって聖歌隊コンクールが開かれた。 先日、優勝カップを選びに店に行った。天使の羽根のついたきれいなカップである。審査員を命じられたが、これがまた大変なことである。どのグループも力を入れて練習してきているだけに甲乙つけがたい。結局、祈りがよく表れているという基準で選ぶことになった。 聖堂をいっぱいに埋めた熱気はすばらしかった。参加者の半数近くが信者でなかったことにも驚きを覚えた。歌の魔力である。魔力が神様に引き寄せてくれるなら、それは大いに感謝してよいかもしれない。 |
6月7日(月) 昨日午後、谷口広海氏の助祭叙階式を行った。9人の子供をもうけ育てた父親である。人生の終わりに自分自身を捧げようと決心した結果であった。多くの参列者と美しい聖歌隊の歌に飾られて式は終わった。新助祭の誕生だ。 私が助祭になった時は、司祭になる前の一つのステップと考えていた。それだけに通過点の儀式という印象が強く、助祭職そのものに意味があることに気づかなかった。浅薄だったと思う。 司祭の配慮が届かないところに気づくのが助祭である。司祭並みにことを行えば、助祭の意味はつかめなくなる。 |
6月8日(火) 桜町教会のステンドグラスをつくってくれた人が盛岡在住の渡辺真氏である。東北から来て1年近く地下室に入り込んで仕事をしてくれた。その間に一人娘が生まれて福音(ふくね)という名前をつけた。福音のさわやかさを伝え続ける女性に育ってほしいと私は思う。その数カ月後会ったときには、知らないおじいさんと思われたのか、泣かれて困ってしまった。あの時あんなに泣いたよと話してあげる日にはこの私は世を去っているのだろうと思ったりもする。桜町教会はステンドグラスが入ることで落ち着いた祈りの雰囲気を備えた聖堂となった。そこで祈っている人たちを見かけると、私の心も和む。不思議なものだ。 |
6月9日(水) 田中英吉司教のエッセイ集「藻草」を読み終わった。大らかで、細やかな人柄がよく読み取れた。きっと人々から愛された司教であったに違いない。誰よりも四国を愛し、四国の良さを生きているという印象が強い。四国の風土の中で育っているだけに、四国の人の良さをよくわかり、無理をしないで人々とつき合っている様がよく伺えるエッセイ集である。これを読んで思ったことは、やはり四国の司教は四国出身の者が良いということ。私は歴史を机上で学んで四国を分かろうとしているが、綿々とつながっている祖先よりの血の縁は、人々との絆をしっかりとつないでいくものだ。他所者の私は逆立ちしても英吉司教にはかなわない。 |
6月10日(木) 8月下旬に「自分の召命を考える黙想会」を企画した。何と14名の男子が快く応募にのってくれている。若い人がやはり道を求めているのだと実感する。私も早75才である。しかし、若い人たちと出合っていると、このまま老いてはいけないという使命感のようなものが感じられる。戦前、戦中、戦後と生き抜いてきた世代の一人だけに、私は次の世代に伝えていくメッセージをしっかりと持たないといけない。それにしても、体の老いだけは避けられない。血圧とにらめっこする日々が続いている。 |
6月11日(金) 「礼拝堂の両側には扉を必要な時に開けば完全に一体にすることができるように、日本風に造られた座敷を設けなければならない。我々の教会の前面には凡ては日本風の回廊を附した中庭が造られるものとする。回廊の前には泥まみれになる季節に教会に来るものが足を洗えるように常時水をたたえた適当な屋根のある場所が設けられること。さらに女性の接待用として教会に隣接した座敷も造られること。」 これが、1581年に書かれた宣教師のための「心得」である。当時の日本教会の建築に想いを馳せる。 |