2010.6.2〜6.4 |
6月2日(水) 「わたしは昼も夜も祈りの中で絶えずあなたを思い起こし、先祖に倣い清い良心をもって仕えている神に感謝しています」(Uテモテ1、3)。 むずかしい句でフランシスコ会訳も併せて読んだがよく分からない。まずテモテという弟子のことが余程心配だったのか、パウロは「昼も夜も」祈っていると言う。若い弟子をベテランが支配する教会に送り込むことに不安があったのだろう。 それにしても「先祖に倣い神に感謝している」とは何のことだろう。テモテのことを心配すると同時に、テモテを送ることができたことを感謝しているのだろうか。フランシスコ会訳に「先祖以来」としていて、代々むずかしいケースが起ると「昼も夜も祈る」ということばを使っていたのかもしれない。考えてみると私の父母も私が一人立ちする時に「昼も夜も」祈り続けていたのかもしれない。私は司教として司祭を派遣するとき、本当に昼も夜も祈り続けるほどの深い信仰をもっているだろうか。 |
6月3日(木) 鳩山首相、小沢幹事長が昨日辞任した。迷走する民主党連立政権が行きついた結論である。くるくると目まぐるしく変わる政権、これは昭和初期の政変を思わせる。頼りのない真に国を思わない民主主義という名前だけを借りた政争は、一般国民の信頼を失わせた。そして国民は、もっと指導力のあるもっと強烈な指導者を期待することになった。ポピュラリズムは愚鈍な民主主義政府より頼りがいがあるように思えた軍事政権を望んだ。その結果は承知の通りである。 混迷する日本の政治は目を覆いたくなる現代である。それに何よりも怖いのは、もっと強いリーダーシップを求める国民の心理である。 この混迷の時代だからこそ、宗教家が声を張りあげる時なのであろう。 |
6月4日(金) 最澄は19才で東大寺戒壇院で得度した。しかし、鎮護国家宗教の奈良の仏教に疑いをもち、比叡山に上った。12年間の修行の後、悟りを得た。 国家のための宗教ではなく、人のこころの癒しを求める仏教のあり方であった。「悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)」であり、森羅万象、出合うすべての人、ことものに仏を見致したのであった。 最澄は自分の門下生に「道心」を求めた。道を求めるこころ、人々に救済といやしを差し出す仏法のことである。こうして、比叡山の門下生には、禅宗の栄西、道元、念仏宗の法然、親鸞、法華宗の日蓮といった人物を輩出した。彼らはいずれも、戦乱の世の中にあって、宗教のあり方を世の人に問うたのであった。 世が混迷の極に達している現在、カトリック教会にも「道心」を育てる何かが必要なのではなかろうか。混迷している時代だからこそ、宗教家が輩出する必要があるのだ。 |