クリスマスミサ説教

2009年12月24日
於:桜町教会

 物には二つの面があります。「散っていく枯れ葉に一瞬の輝きが見える。けれども,その裏側にある死も見つめることが出来る」という句があったのを覚えているのですが,本当にそうだなと思っています。一つの出来事には常に表と裏とがあります。この表を見るか裏を見るか,これは見る人の力量によるというふうに考えてもよろしいでしょうか。
 クリスマスの物語にも表と裏があります。例えば,ベトレヘムへの旅は決して華やかな新婚旅行ではありません。馬小屋は,きっと寒くて臭かったでしょう。けれども,いつの間にかそのクリスマスがプレゼントに化けまして,美しい物語に変えられてしまっています。羊飼いも天使の歌声もすべて同様になってしまいます。冷めた目で見ていきますと,この物語の裏に人間の生活の厳しさというのを読み取ることが出来ます。いや読み取らないといけないのでしょう。
 考えてみますと,私の生涯の出来事も光と闇の部分があります。平凡だと思う出来事に光を当ててみると,それはきらきらと輝いて現れて参ります。光を当てないと,平凡な何ともない生活にしかなりません。昨日,昔自分が東京にいた頃出会ったご婦人方が訪ねてきて下さいまして,夕食を一緒にしたのですが,楽しい30年前のことに話が及びました。当時私は,少年野球の監督をしていました。それから,その町の少年野球の会長もしていました。ですから日曜日の午後というのは,いつも少年野球がある多摩川の河原に座りまして,少年達の野球の試合を見て過ごしていました。ほとんどの日曜日は,そういう具合でした。少年達を応援する母親達のざわめく声とか,父親達と一緒にむしろを敷いて一緒にビールを飲んで子供達の野球を観戦したこととか,何でもないことですが,30年前の話をしているうちにきらきらと光り輝いてくるのに驚いています。私が住んでいた神学院にはイチョウの木があり,秋になるとギンナンをあつめてはギンナンむきをしていました。それから,柿がいっぱいなってましたので柿を採って食卓を潤す。春はタケノコがいっぱい出ますのでタケノコをひきぬく。春夏秋冬四季の味わいを楽しみながら過ごしていました。なんでもないこれらの出来事は,今となってはとても愛おしく,そしてすばらしいものであったなということがよく見えてくるのです。これが恵みというものかなと考えます。
 問題は凡庸であったらだめだということでしょうか。凡庸である人は,そのとき与えられた恵みを今になっても気づかないのです。私たちはみんな凡庸ですのでその恵みに気づきません。今与えられている恵みがあるということに気づかない。残念です。でも光を当ててみるとその裏にある,あるいはその表にある神の恵みというのが,感じられるのです。その光はイエスの教えです。光を当てることで,すばらしい人間の生き方に変わってくるのではないかなと思います。
 今生きている中で,平凡に思われる出来事が延々と続いているような錯覚を持っています。そしてその中で現在を逃避してしまったり,過去の思い出を美化してそこに生きようとしたり,過去の栄光にとらわれたりする。これは凡庸さであり,人生に気づかない性質のものだと私には思われます。あるいは空想の世界に逃げ込んでしまう,あるいは命を断ってしまう。全ては今ある出来事の中に光を当てて,そこに神の手を見るか見ないかということにかかっています。今を生きるというのが一番大切なのですよと,今を逃げてはいけないということを,この御降誕祭は私たちに教えています。
 クリスマスの話にもう一度戻りましょう。クリスマスの中で表されている光とか歌声とか喜びとか、こういう中に真の美しさを私たちは読み取っています。しかし、そこに酔いしれていくだけではいけません。喜びの表現がある祝いのその中にある意味,これをしっかりと把握する必要があります。それを通して生きる糧というのを自分で探す,あるいは自分に課す必要があります。その糧というのは何でしょう。クリスマスの本質でしょうか。それは,主イエズスが自分に与えられた人生を神の御旨に従って生きたということ,ここにあります。
 私たちへのメッセージです。私たちの生活というのはどんなものでしょう。孤独であるかもしれません。人と対立しているかもしれません。疲れ切っているかもしれません。病気であるかもしれません。生活苦を負って,子供との葛藤が絶えず続けられているかもしれません。夫婦の間の関係も冷めているかもしれません。夢が叶わないままいらだっているかもしれません。ちょうどこういう時,こういう現在,この中に神の光を当ててみたら,そこが生き生きとしてくる。そういうことを通しながら,新しい人生が生まれるのだということをこの降誕祭は教えています。
 どうぞ,私たちは自分の生活をもう一度振り返ってみるということを、今日の御ミサの中で考えてみるようにしましょう。自分に与えられた家庭,自分に与えられた職場,自分に与えられた教会,学校,その全ての関わりの中で,もう一度神の光というのを当ててみて、そこに生き生きとしたすばらしいものを見つけるようにしましょう。

    ※司教様チェック済み