聖木曜日ミサ説教
2009年4月9日
於:桜町教会
毎年この時期に話をするのは非常に苦痛でして,毎年この季節は同じ福音が読まれ,同じ箇所が話されますので,どのように変えていくのかというのが大きな課題となってきます。この前の日曜日に言いましたように,今年は聖パウロの年に当たっていますので,パウロの生涯を考えながら,聖週間を送っていきたいと思っています。前回パウロの回心についてお話ししました。今日は聖木曜日ですので,パウロの書簡のことからこの聖体の祭儀という問題に触れていきたいと思います。
まず最初ですが,実を言いますとパウロは回心してから12年間沈黙を守っています。宣教に出る前の12年間は何も言っていません。12年経ってからギリシャ語を話すユダヤ人たちとしばしば語り合ったと言われています。すなわち,異邦人の宣教に備えて長い時間をかけているということを私たちは分かっています。どんな準備をしていたのでしょう。祈りと勉強,この二つと言っても良いでしょう。現代でも宣教に備える人たちは祈りとそれから勉強,この二つが求められています。日本のような社会で宣教するためには学ぶということがどうしても必要です。よく分からないといけません。社会のこと,人間のこと。ここから初めてキリストの言葉というのが伝わってきます。
パウロは3度の宣教旅行を行っていました。パレスチナから小アジア,次いでマケドニア,それからギリシャへと宣教しています。最後はローマまで行きます。パウロは宣教しながら,宣教するとは何かということを分かっていきます。はじめから分かって宣教していたわけではありません。今回はコリントの町で起こったでき事に焦点を当てて宣教と言うことを考えましょう。
パウロはアテネを訪れた後にコリントを訪れています。地図をご覧になったら分かると思いますが,コリントは西にコリント湾がありそのコリント湾から更に西の方に行きますとアドリア海を通ってイタリアに行くことができます。小さな海峡を経て,コリントの左にはもう一つの湾があり,そこからエーゲ海を通って小アジアへ行けます。現在は運河で結ばれていて昔のように遠回りをして陸を行く必要はありません。コリントはローマ人によって破壊されてしまいますが,交通の要所であるということもあり,アウグストスはこの町の再建を命じました。その町の再建のために奴隷あるいは退役軍人をつれてきて町の再建をさせました。さらに町ができてくるに従い,ローマの各地からいろんな人がコリントの町に集まってきて新興都市を造っていきます。栄えていく町と見て,アウグストスはアカイア州の州都にし,そこを中心として地方を発展させようとします。新興都市にはいろんな人が集まってきます。人種のるつぼと言っても良いでしょう。従って,貧富の差も激しく,人が集まっているところは快楽の場所にもなります。快楽もあり,いろいろな風習と気性が違う人が集まり,ある意味では自由な雰囲気があります。そういう中にパウロはユダヤ人の会堂を訪れ,そこに異邦人を交えた新しい教会を建てていきます。そしてコリントからエフェソに行きます。彼はエフェソに三年留まり種々の書簡を書いています。今残っているパウロの書簡の半分はそこで書いたと言っても良いと思います。エフェソでコリントへの第一の手紙が書かれています。コリント宛には2通残されていますが,歴史学者は少なくとも5つは書簡を書いていると言っています。すなわち失われた書簡があることと,第一,第二の書簡については,昔はバラバラであったものをまとめたのではないかというような話があります。少なくとも5つの書簡を書いていると言われています。問題はなぜそんなにたくさんの手紙をコリントに書かないといけなかったのかということです。エフェソにいるパウロのところに,ある人が来てコリントの教会に分裂があるということを知らせます。これに対して答えているのがコリントの書簡です。
私は今からコリントの第二の書簡を中心として,お話ししていきたい。まず,コリントの教会に対しイエスはメシアであるということを確信しなさいと強く言っています。イエスはメシアであるというのは使徒伝来,すなわちイエスが弟子たちに教えたこと,そして弟子たちがイエスに直接に習ったこと,また私もイエス・キリストから直接に教わったことだと主張し,私が発見したことではないと弁明しています。初代教会の信仰箇条とは,キリストは聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死んだこと,葬られたこと,また,聖書に書いてあるとおり3日目に復活したこと,これです。イエス様は私たちのために死んだこと,葬られたこと,復活したこと,これを確認することで十分なのです。ケファに現れ,その他12人に現れ,私にも現れたと述べるのは初代教会の信条を自分が受け継いでいることを引用するためです。と言うことはイエスが死んだこと,復活したこと,この信仰箇条を悪く解釈したり,否定したりごまかしたりする人が,コリントの教会の中に入ってきたからでした。これに対してパウロは,激しくイエスはキリストである,メシアであると伝えるのです。原始教会の信仰告白に対して,反発する人はどんな人だったか私には分かりません。コリントの教会には様々な人が入ってきて,自分なりにキリスト教の信仰を解釈して自分なりに話をしたのでしょう。これに対して,パウロはイエスから使徒たちに伝えられた教えに関して決して譲ってはいけないと言うのです。すなわちイエスは私たちの救い主であると言うことです。私たちというのは,ユダヤ人にとってもユダヤ人でない人にとっても救い主,すべての人の救い主であるということなのです。いろいろ雑多なものをまとめ上げる絆はイエスというお方しかいない。風習やものの見方や考え方や言語が全く違ういろいろな人が集まっているコリントの教会を一つにまとめる力はイエスしかいないのです。そのイエスは私たちのために亡くなられた方,そして私たちのために復活された方なのです。あなたの頭の中でイエスを作ったらいけませんよという忠告がここにあります。同時にパウロは伝承として受け取ったものとして,聖体の制定のことを話しています。どうしてそれを話したのでしょう。おそらくコリントの教会の中で聖体祭儀について異論がたくさんあったのでしょう。これに対して,私たちが受け継いできたのはこれだと述べて,その場面を描写しています。最後の晩餐については4つの本に書かれています。マルコ,マタイ,ルカの福音書とそれからパウロのコリントの手紙です。この4つの内で一番古いのがパウロの手紙です。だから今,ミサの中で使われている奉献文はパウロに一番深く基づいていると言っても良いと思います。4つは,少しずつ違いますが,基本的には全く同じです。イエス様が亡くなった30年代からの初代教会においてパンを割く式というのは定着していきました。今の教会とは違って家庭教会だったでしょう。それでもパンを割く式をとても大事にしていました。そのためにユダヤ教から離れていくということも生まれてきました。イエスは「これを記念として行いなさい。」という命令を出します。それを忠実に守ったのが初代教会でした。忠実に守らないことが起こったときにパウロは「これが受け継いだ典礼なのです」と教えるために手紙を書いています。私たちにとってミサは最重要事です。パンを割くときに,メシアであり,復活したキリストは私たちの中に今生きているという信仰告白をするのです。このミサを変形することをパウロは一番嫌ったのでした。
長くなるので終わりにしましょう。どこに行ってもカトリック教会はこのパンを割く式を大事にします。2000年間続けて大事にしてきました。そしてこのパンこそイエスの体,このパンこそ教会の一致のしるしであるという教えを忠実に守ってきました。ミサの祭儀においてキリストが現存し,このイエスを通して,私たちの教会は一つになるのです。カトリック教会は使徒伝来の教会です。プロテスタントの教会と基本的に違う点はこの点にあると言うことができるでしょう。カトリック教会は秘跡を大切にします。ことばを大切にしない面はありましたが,今,ことばを大事にするということが多く語られています。ことばと秘跡,この二つが合わさったもの,それが聖体祭儀です。この二つを大切にして,ともにミサに与ることで一つの教会をつくる。この意識を深めていきましょう。
※司教様チェック済み