「さあ皆さん一緒になって歩みましょう」聖香油ミサ説教

2009年4月8日
於:桜町教会

 昨年の列福式の時に白柳枢機卿様がその説教でこう結んでいます。「さあ皆さん恐れずに歩み一緒になって進みましょう。恐れるな、恐れるなと神様がそして殉教者が呼びかけています。皆さん恐れるな」と。そうだと思います。この言葉を通して日本教会がもっと地道に忍耐強く子供を、若者を、信者を、信者でない人をも、しっかりと育てていく必要があることを強調されていました。これは高松教区にも当てはまると思います。
 皆さん覚えていますか。5年前私が着座したとき、典礼にはありませんでしたが、自発的にまず司祭たちが立って新しい司教に対して従順を誓いました。それから修道者が立って彼らも従順を誓いました。また最後に信者の皆さんも立って新しい司教への従順を誓いました。あれから5年の歳月が経ちました。あの時に誓った事は何だったのでしょうか。単なる言葉だったのでしょうか。儀礼だったのでしょうか。このことを皆さんと暫く分かち合いたいと思います。
 ご存じのとおり、今年、高松教区立国際神学院が3月31日をもって閉鎖されました。これは大きな決断を教区に突きつけた出来事だったと思います。ある人はこの神学院の設立に法律上問題があったから閉鎖されたと主張しています。私はそう思ってはいません。法律は是正しようと思えば難しさがあっても是正することは出来ます。しかし、この20年間を振り返って見る時、これを決断しなければならなかったほどのきしみや亀裂がこの教区内にありました。ですから神学院閉鎖は適正な判断であったと信じています。
 そこで最初に司祭団の皆さんに問いかけたい事があります。皆さんにとって高松教区というのは一体何なのでしょうか。多くの場合自分の団体、それが修道会であれ一般のグループであれ、今までその特権を振りかざしてきたことがなかったでしょうか。 単に自分たちに仕事の場を提供するのが高松教区だったのでしょうか。共に作り上げていく教区という意識、共同体という意識はどうだったでしょうか。簡単な問いかけです。やはり真剣に答えてみたいし、共に考えてみたい課題を私たちに提供するいい機会だと思っています。
 高松教区は世界でも一番小さい教区と言ってもいいでしょう。その教区で働くと云う事はどういうことでしょうか。忍耐しながら共に育つことの他に方法はありません。少ないなら少ないなりの、小さいなら小さいなりの方法があります。少ないことや小さいことを決して恥じることはありません。大事な事はそこに働く人たちがどんな心をもってその教区、共同体を作っていくかという意識にかかっていると思います。しかしそれが出来るためには司祭団の皆さんが互いに協力し合い、励ましあって働くことが一番大事なことだと思っています。
 司祭として長年働いてこられた方もいますし、新しくこれから教区において司祭として働こうとしている方もいます。その方々が教区において司祭として教区を担っていくには、やはりベテランの司祭に学ぶ必要があります。教区の歴史をよく分からなければなりません。何でも変えてしまう必要も全くありません。良いものを最良のものに変えていく忍耐と賢明さが必要です。長年働いて下さっているベテランの神父様方には、確かに良いもの、そしてしっかりとした土台を築いて下さったことを感謝しています。
 しかし、長く働いていると云う時、マンネリ化していると云えるかも知れません。これまで働いてきた宣教活動がそのまま通用していると思われているかも知れません。20年前、30年前の宣教のやり方にこだわっているかも知れません。時代が動いていることになかなか気付かないと云う難しさが表れてきます。ですから時代が変わっているという意識の切り替えが必要です。そこで新旧の領域がうまくかみ合う時にはじめて教会の宣教は発展します。
 さて、うまくかみ合うためには何が必要なのでしょうか。私はもう一度ここで5年前に誓われた司教への従順を考えてほしいと願っています。私溝部の司教職への従順ではありません。私は司教として申し上げたいと思います。皆さん一人一人が持つ自分の意見や自分の特権がどうであるとしても、司教と共に教区を愛し、教区の方針を定め、それを促進させて頂きたいと云うのが私の気持ちです。私は昨年の4月、教皇ベネディクト16世と1時間半にわたって会談を持ちました。その時教皇様は"教区の要である司教への従順が一番大切なこと"と強調されました。そして今年2月、謁見の場で教皇様と10分ほどお話をしました。その時すぐに「あなたは高松の司教ですね。高松教区の司祭たちによろしく伝えて下さい」と言われ、私が以前お話したことをよく覚えていて下さったのだと、そう思いました。即ち、教皇様が心配していることは"教区の司祭たちが司教と一緒に動いて欲しい"と云う希望を表されたと私は受け取りました。とても感動的な謁見の場でした。
 客観的に見ましても、この20年間、高松教区は苦難に満ちていたと云ってもいいと思います。だれに責任があるなどと、そんな事を問うてはいません。でもやはり難しい状況に置かれました。聖パウロはコリントへの第2の書簡の冒頭でこういった意味のことを言います。"この苦難の中にキリストの十字架が見え、その中に新しい教会が生まれた。そしてその苦難と苦しみの中にある自分こそキリストの十字架の神秘が分かった。偉大なる恵みである"と。この苦難の歴史を辿ったからこそ今キリストの十字架の意味をしっかりと理解することができます。キリストの十字架に与った者としてこの教区を如何にするか、如何に愛するか、そしてこの教区の中の苦しみをどのように考えて行けばいいのか。こんな事を問うて見るいい機会だと思います。
 お互いに弱かったことがあったら、恥じることがあったら、謙虚にお詫びするように致しましょう。大事なことはそこから立ち上がることです。過去の事をいつまでも引きずっていても始まりません。今から何が必要なのか、それをしっかりと考える必要があります。
 こう云う事を考えた時、5年前、司祭団が、修道者が、信徒たちが従順を誓い合った事が浮かび上がって参りました。その時には分からなかったでしょう。単なる儀式だと思ったでしょう。しかし5年が経ち、5年の歩みを経た中で、私たちが誓わなければならなかった事が何だったのかが、今、見えてきたのではないかと思います。その意味で今年は高松教区再出発元年と称してもいいと思います。
 教区立神学院がなくなったと云う事実だけではありません。神学院がなくなったと云う事に意味がある訳でもありません、それによって教区を再生させる事、それによって私たちには新しい責任が任せられた事を意味していると考える必要があります 最後になりましたがこの5年間、非常に拙い私でしたが、司教として敬い、手伝って下さった皆さんにこの場を借りて感謝いたします。再度白柳枢機卿様の言葉で終わりたいと思います。 「さあ皆さん恐れずに歩み一緒になって進みましょう。恐れるな。恐れるなと神様が、そして殉教者が呼びかけておられます。皆さん恐れるな!」

    ※司教様チェック済み