枝の主日ミサ説教
2009年4月5日
於:桜町教会
今年はパウロ年にあたっていまして,カトリック教会は,パウロが目指した異教徒への宣教ということを主題に一年を過ごすことをしています。私もこの聖週間にあたって6回話す機会がありますので,ご一緒にパウロの軌跡を追うことで,彼が考えていた宣教とは何かという考える材料を提供したいと思います。それが聖週間をよりよく過ごす材料にもなると信じているからです。
ご存じのとおり,パウロはイエス様よりも10才ぐらい若いと思って良いでしょう。彼の表現を使いますと,「私はイスラエルの民に属し,ベンヤミン族の出身で,ヘブライ人の中のヘブライ人」と自分を紹介しています。すなわち,自分は生粋のユダヤ人なのですということを主張しています。ただ,タルソスという町に生まれて育っています。ディアスポラスといわれる離郷,ユダヤを離れた異教徒の世界に生きているユダヤ人の家族の中で生まれて育ったということで,始めから他のユダヤ人とはずいぶん違っている面がありました。そして神様はこの人をお選びになります。ユダヤ人でない人への宣教のために。タルソスという町は現在のトルコの中央南部にありまして,当時そこではギリシャ語が公用語として話されていました。従って,パウロはギリシャ語を理解しギリシャ語を話していた人と言っても良いでしょう。またタルソスは諸民族が交流する場所であり,商売の町でもあります。多くの言語とか風習とか宗教とかがたくさんある,そういう多文化の世界であるということ,パウロは小さい頃からその多文化の世界に生きていたということ,こんなことを私たちに思い出させています。その中にあって彼は「私はユダヤ人の中のユダヤ人なのだ」という強い自覚を持っている。これを私たちの世界に少し入れてみましょう。私たちは多文化の多宗教の世界に生きている。その中にあって日本人という自覚と,キリスト者という自覚を持っているということ。パウロと相通じる面がある私たちが,パウロと同じようにどのように宣教ということに目覚めていくか,これが回心への道になっています。
ユダヤ人でも,彼はファリサイ派という一つの派に属していまして,14,5才でエルサレムに留学し,そこのガマリエルという偉大な先生の下でユダヤ教を徹底して勉強しています。律法あるいは旧約聖書の勉強に励んでいます。その中で律法を守っていないと思われるキリスト教徒に対して,強い反感を覚えています。そして迫害者に転じるという不思議な状況を,使徒言行録が書いています。彼はガラテアの書で,「私は徹底的に神の教会を迫害し滅ぼそうとした。中央アジアで新しくキリスト教に入ってきた人々に向かって,私は徹底的な迫害者でした。私はユダヤ人でユダヤ教者。律法を何よりも重んじる人でした。」こういう告白をしています。ステファノの殉教の時に立ち会い,家から家へと押し入って教会を荒らし,男女を問わず引き出して牢に送っていました。この人,このパウロが,実際は教会の礎を築く宣教者となって参ります。パウロ無しにカトリック教会は考えられません。パウロを通して教会が,キリスト教会として世界に開かれていく礎が築かれていきます。
どのように彼は回心するのでしょう。それは突然主キリストに出会うということを通して,180度の転回をしたということです。いくつかの箇所が彼の回心の場面を書いています。使徒言行録には3カ所あります。3カ所でちょっと違う面がいろいろ出てきていますが,共通している点が多い。パウロはガラテアの書にも同じ事を書いています。これもちょっと違いますが共通点の方が多いのです。それでは共通点というのは何でしょう。パウロは迫害者であったこと,それからダマスコへの道中でキリストというお方に出会ったということ,そしてこの出会いを通して異邦人・ユダヤ人でない人の宣教に召されたという自覚をもったこと。この3つがあげられています。フィリピの書をみても第一のコリント書をみても,この3つの点が大事になって参ります。私は今この箇所を読みませんので,皆さんはご自分で使徒言行録,あるいはフィリピの書,ガラテアの書,第一コリントの書でパウロが自分について書いている箇所をお読みになってください。このできごとのなかで彼はこう言います。「私は自分で望んだのではなく,外からこの道を起こされた」と言っています。これが行われるためには,まず神の恵みがあったからなのだと言います。すなわち,異教徒への宣教をするときに神様が私を選んで私に恵みを与えたこと,それが第一だと。私は何も望んでもいなかったし知りもしなかった。それなのに神様が自由にしたのだと,彼は何度も言います。たとえばテモテの1章ですね。「私は先に冒涜者,迫害者,暴力者であった。だから私は憐れみを得た」と。不思議ですね。私は迫害者であったから,神様は憐れんで私を使ってくださったと言っています。その恵みによって私を召してくださった,私は神の恵みによって今の私になったというのです。1600年代にペトロ・カスイ岐部はルパング島から船で出発するとき,神の恵みの帆に風をはらんでという表現を使っています。まず私たちが宣教者となるためには,私がするのではなくて神様の恵みによって,神様が私を使ってくださるという自覚から始まらないといけない。私は神様の道具なのだという見方ですね。母の胎内から私を選びその恵みによって私を召してくださった。ガラテア地方の中央アジアの人々に向かって,私を選んでくださったのは神様であり,私が生まれる前から私に目を留めてくださったのは神様なのです。それは私をキリストを知らないひとびとに遣わすためなのですと。いかがでしょう。私たちは洗礼を受けてこうして教会に来ています。何のためでしょう。あなたを選んだのは,誰かに遣わすためなのです。この高松にも,香川県にも,四国にも,あなたの周りにあなたを待っている人がいます。そのためにあなたは教会に召されたのです。これがパウロの自覚であり,私達の自覚なのです。長くなりますので今日の話はここで終わりたいと思います。
神は異邦人の宣教師となるべく,多文化・多宗教の地に生まれたパウロという人をお選びになりました。この私たちも多文化・多宗教の土壌の中で生まれ育っているということを,私たちは自覚しています。こういう土壌を生きている私たちだからこそ,異邦人,教会を知らない人々のために私たちは召されているのです。ついで,神様は自由に選んだということ。外観とか人間的魅力とか学力とか才能ではなく神様は,ご自由に,自分がこれと思う人を思いがけない形で選んでくださる。それこそあなたなのです。あなたの才能にうぬぼれて宣教をするのではなく,神様に選ばれて謙虚に宣教を始める。こういう姿勢が宣教の始まりだということをパウロの回心は私たちに黙想させてくれています。
木曜日,金曜日,土曜日,日曜日と,パウロとキリストの復活信仰ということに思いを馳せながら話を続けていきたいと願っています。
※司教様チェック済み