日本26聖人殉教者の祝日ミサ説教
2009年2月5日
於:桜町教会
26聖人のことについては多くのことが話せるのですが,今日はフェリペ・デ・ヘススについて一言だけ述べさせてください。
フェリペ・デ・ヘススは,メキシコ生まれでかなりの富豪であった両親の元に育っております。若くして司祭になることを望みフランシスコ会に入り,メキシコからフィリピンに行き,そこで神学生生活を過ごしています。全ての神学の課程を終わって,23歳だったと思いますが,メキシコに帰って司祭に叙階されるという希望をもって船に乗り込みます。その船,サン・フェリペ号が土佐の浦戸港に流れ着き,動けなくなってしまいます。長宗我部元親はそれを豊臣秀吉に伝え,秀吉は使者を土佐に送りました。その船には金目のものが沢山あるということがわかり,いろいろな理由をつけては結局それを没収してしまいます。同船には数人の司祭たちも乗っていて,神学生や司祭たちは全員京都に連れて行かれます。フェリペ・デ・ヘススも日本とは全く関係なかったのですが,土佐に上陸することで,そこから京都へと旅をすることになります。京都でフランシスコ会の修道院にいたときに捕らえられ,牢獄につながれるという不思議な運命を辿っていきます。メキシコではお母さんが,祭服に金の刺繍をするなどの,準備をしながら司祭叙階の日を首を長くして待っていました。しかし彼は捕らえられて結局26聖人の中に入れられ,京都で見せ物にされ耳を切られて,京都から大阪そして長崎まで歩いていく旅に出ることになってしまいました。
彼には有名なエピソードがあります。26人には各人の背丈に合わせて十字架が作られていました。両腕を縛る横棒があり,真ん中の縄に首を掛けるようにしてありました。足の下には台座がおかれていて,横棒と台座の長さが合えば良かったのですが,彼の場合,台座が下にありすぎて,足が届かず宙ぶらりんになり,首を吊った状態になったのです。みんなが讃美歌を歌って,今から処刑が始まるというときに,彼は首つりになったような状況で声も出せずにいました。これを見た刑吏の頭は早く殺せと命令します。2つの槍で胸を刺し貫かれたことで最初に殉教することになります。日本と全く関係なかった人が,日本の教会の初穂となるという不思議な巡り合わせです。
ルイス・フロイスは「日本26聖人の殉教録」を書いていますが,その中で「歴史は,フェリペ・デ・ヘススが殉教するために回った」という面白い表現をしています。彼が殉教するために,豊臣秀吉が強欲に荷物を盗んだ。彼が殉教するために,サン・フェリペ号が難破した。全ては彼を中心として,この26聖人殉教があったという,うがった物の見方をしています。実に考えさせられる言葉です。何の準備もなく,何の関係もなかった人が日本の教会の最初の殉教者,初穂になるのです。
私たちも長く教会にいるから信仰の真髄に達するというものでもありません。神様がお望みになったら,まっさらな,新しい信者さんの中に殉教を準備されるのかもしれません。
「先のものが後になり,後のものが先になる」。聖書の有名な言葉です。頑なになればなるほど,救いから遠ざかっていくという真理を思い起こさせてくれています。
※司教様チェック済み