上杉の意地について
米沢教会 列福記念誌
列福式が無事終了し,ローマよりの特使を成田空港に見送り,全ての仕事を終えた途端に気が緩んだのか,腰痛に悩まされ,ベッドから立ち上がれなくなった日々が続いた。靴下をはくのがこんなに苦痛なのかを味わう初めての体験であった。今まで病気とは縁遠く,ベッドに寝たきりと云うのが慣れていないこともあり,日ごろ読んでみたかった本を取り出して読み始めた。その一つが藤沢周平の「密謀」という歴史小説であった。なかなか読み応えのある良い小説だと思う。藤沢周平が東北人の意地を見せて書き起した小説と私は見た。
時は戦国時代から国家統一に向かう時代である。謙信以来の武門の栄誉を重んじる上杉家が,成り上がりの豊臣秀吉,更には政略巧みに諸侯を篭絡する徳川家康とどのように戦うかを周平は描いている。言葉を弄せず,真っ直ぐに自分の生き方を貫こうとする上杉の意地がそこには伺われる。直球で勝負する上杉と云ってもよい。そして,そのことのために苦悶する上杉景勝と彼と志を共にする家臣直江兼続を登場させている。策に溺れない東北人の誇りを感じさせる良い小説である。それでもあえて家を存続させるために,現実を受け止めた彼らの苦渋の選択にも気を配っている周平である。
私が興味を持ったのは,上杉の苦渋の選択という文脈の中で,ルイス甘粕右衛門とその仲間たちの殉教を読む時,実によく分かる個所が多々あることに気づいたことであった。1630年近くになるとキリスト教の迫害は辛らつを極め,西国ではむごたらしい拷問と,痛ましいまでの人間の狂った姿が見られるのに反し,米沢の殉教はどれ程美しく,気高いかを見せてくれている。真っ白の新雪に染まった北山原の殉教は一幅の絵のような美しさを漂わせている。人情味溢れる受難の前の別れの数々,細やかな愛情の表現など挙げればきりがない。家臣を死に至らしめたくない上司の思いがこの殉教には溢れている。どんなに小さな領土に狭められても,結束を決して緩めない上杉の意地がそこここにちりばめられている。
米沢の殉教を祝う時,私たちに真っ直ぐに,そして誠実に人生を生きるという問題を提起していることを思わせる。謀略策略で要領良く生きるのが人間の知恵だとうぬぼれている現代人に,米沢はあえて,愚を百も承知の上で人生を生きる生き方があることを伝えている。
高松教区司教 溝部 脩