平和を祈るミサ説教

2008年8月10日
於:桜町教会

 本日は平和旬間にあたっておりますので,今日の話は平和旬間に関係する話をさせてください。まず,日本においての一つの試みを話させてください。そこから平和への取り組みとか,ひいてはカトリック教会の宣教のあり方というのを,提供したいと思うからです。

 先日ある雑誌を読んでいますと,2006年には虐待児童件数が3万7000件あったということで,1週間に一人の割合で子どもが虐待死しているということを書いている記事を目にしました。問題は,この数字をみて大変だなと思うに留まるか,あるいは何かしなければいけないと考えるか,この岐路にあるのではないかと思いました。
 このことに関して子どもたちの命を救い,それから母親のことも救いたいと考えた一人のカトリック信者がいました。それは,18歳の女子高生が女の子を産み落として庭に埋めたという記事を読んだからです。さらに,21歳の専門女子学生がトイレに子どもを産み捨てたという記事を見るに付けて,この人は,これは何だろう,自分にできることが何かということを考え始めました。それは熊本の慈恵病院のお医者さんである蓮田先生と看護部長の田尻由貴子さんでした。この二人が話し合って,何かできることがないかと考えました。お母さんを救うために匿名で子どもを預かる可能性を探したのでした。でもどうしたらよいのか分からなかったのでので,二人はこの問題で先進国であるドイツに飛んでいき,ドイツに赤ちゃんポストという設備があるということを知るに至ります。こうして,熊本の慈恵病院の一角に赤ちゃんポストを設置することを彼らは決定します。
 これに驚いて反対した人たちがいました。ともかく理論を並べ立てて,現状維持を守ろうという人たちと考えてもいいでしょう。この人たちは,事柄は大変なことなのだから慎重に事を進めるようにという勧告を彼らに与えています。理由はこういう事です。赤ちゃんポストのようなものが作られたら,安易に子どもを捨てる風習が生まれるのではないか,親が責任を果たさなくなるのではないか。あるいは,子どもを赤ちゃんポストに捨てる行為自体が虐待ではないか。こういうことが続けられていくと,子供遺棄というのが助長されていく,これは日本の社会に良くないのではないか。これが反対意見の主なものでした。これに対して,彼らは何をしたでしょう。
 現実の状況をビデオで作成したり,それから命(いのち)というテーマについてのシンポジウムを開いたり,それからコンピューターのウェブサイトを利用して実態を聞かせるという試みをしました。すなわち,彼らが考えたのは意識の改革,みんなの考え方が変わるということが大事なのだということでした。
 こうして2007年,熊本市慈恵病院赤ちゃんポスト設置が熊本市により認められました。市長自身がこれを推し進める人となったのです。市長自らが市民との対話を求め,シンポジウムに参加し又はシンポジウムを企画し,事の事情を説明するという役割を担っていきました。奇しくも,カトリック教会と熊本市が赤ちゃんポストを通して深くつながれたのです。ここで特記したいのは,熊本市の県立高校のボランティアグループが,赤ちゃんポストの是非についてというシンポジウムを校内で開き,市長を呼びまして市長と高校生との対話を実現させたことです。さらに全国のディベートコンテストに出まして全国で優勝するということがあり,高校生自身がこれに関わって宣伝の役割を担ったことです。
 こうして,この1年間で預けられた子供は16人ということです。これを多いとみるか少ないとみるかよくわかりません。でも少なくとも16人の命(いのち)が新しい人生を始めたということは間違いありません。置いていったお母さんたちの意識も少し変わってきて,また貰いに来るということも行われています。この赤ちゃんポストの基本はカトリックの倫理観に立っていること,中心となった人はカトリックの信者であり医療に関わっている人であることでした。命(いのち)を尊ぶというカトリック教会の基本方針を彼らはつらぬいたのでした。

 この一つの試みについて私はいくつかの問題提起を皆さんに行いたいと思います。まず第一。一つの情報・一つのニュースから何かをしなければいけないと感じた一人の人がいたということ。それが分かれ目でした。ニュースを聞いても,ああ大変だなと思うことにとどまるか,自分に何ができるかを考えるか,それが選択の岐路になっています。
 二つ目です。その人に共鳴する人々がいて,運動を盛り上げたこと。一つの問題を感じたら周りの人とそれについて話をして,何かしようと,運動を盛り上げることが出来たこと。
 それから三番目です。考えたことを行動に移して,市民を巻き込んだこと。特に若い人,ボランティア,高校生を巻き込んだ運動になったこと。
 四番目。世論を高めるために種々の試みを行ったこと。ビデオもそうですし,コンピューターもそうですし,シンポジウムその他,自分と共鳴し問題を感じる人の輪を広げていき,市民運動を高めていこうとしたのです,こういう中で赤ちゃんポストが設置されたという事実を忘れることは出来ません。
 最後です。カトリックの倫理観を基本に持って譲らなかったこと。少し堅いと言われたとしても命(いのち)を尊ぶことを語っていることです。赤ちゃんの命(いのち)は守らないといけないという基本方針を貫き通したことです。

 これら一連の方法は,私たちの平和運動についても言えますし,カトリック教会の宣教のあり方ということについても言えることです。机上の理論だけでなく,人々を説得し巻き込んでいく方法,これらを学ぶ必要があると思います。私たちは宣教についても難しいことを考える必要がありません。私たちの一つの情報から,どのようにすればいいのか,どのように人々を巻き込んでいけばいいのか,こういうことを考えることから宣教を始めていけばいいのです。

 これらのことを考えながら,今日のごミサを続けていくことにしましょう。

    ※司教様チェック済み