復活の主日ミサ説教
2008年3月23日
於:桜町教会
今日は典礼暦年全体の話を致しましょう。四旬節は,イエス様が40日間荒野で過ごしたことを記念して行われています。復活祭までの40日間を数えています。でも実際は6週間で42日間,灰の水曜日から4日間ありますので46日間となります。しかし,四旬節であっても主日・日曜日は特別な日であり喜びの日,断食の日ではないということで,6日間を引きますと40日ということになります。
では,四旬節とはどういう意味でしょう。四旬節は求道期間であるということを初代教会から言っています。すなわち,神の言葉を大事にすること,カテケージスを行うこと,これらのことが言われています。神のことばを断食と祈りによって深めていく時期,これが四旬節ということになります。その意味で洗礼に導かれる期間,40日間ということになります。
四旬節の最後の3日間は典礼暦年の中で最高の時で,教会はこの3日間を,きれいな典礼を行うように,その意味が分かるようにということを,強調しています。すなわち求道期間が40日間ありまして,みことばを求め続けて光が与えられるとき,それが過越しの3日間ということになります。さらに洗礼の水によって新しい力が与えられ,新しい共同体が生まれてきます。これが昨日の聖土曜日の意味づけでした。そして,復活の日曜日である今日の福音も,今から読まれる一週間の福音も,喜びにあふれていないのに気づくのです。イエス様が復活したら弟子たちが小躍りして,復活した新しい教会が生まれたとは一つも書かれていません。むしろイエスが復活したことで,弟子たちは戸惑います。あるいは迷惑と感じているのです。福音書を読んでいても,復活の日に素晴らしい喜びがあったという記事は見あたりません。むしろ,たとえばマタイの福音書のように,御昇天の前,ガリラヤ山で弟子たちを遣わすという場面がありますが,そこでも,「天に昇るのを見た人の中に,疑う人がいた」と結んでいるのです。これがマタイ福音書のしめくくりです。ほかの福音書を読んでいても,疑う人ばかりが出てきます。
復活祭とは,主がよみがえったということを記念するお祝いです。しかし,弟子の一人ひとりは,主がよみがえったという実感がないのです。それを実感し,確信に至る期間が復活節です。それは,聖霊降臨まで続く50日間ということになります。復活したキリストと一人ひとりが出会って,その復活の意味を少しずつ理解する期間,それが今から過ごす復活節です。そして今日はその復活節の始まりです。私たちはすぐ復活が分かるわけではありません。今からの50日間,復活したイエス様と出会う体験を通しながら,復活とはこういう意味であると,徐々に分かってくるのです。そして,聖霊降臨の日キリストの復活を体験した人たちが,聖霊を通して新しい教会を発足させるのです。この3ヶ月の長い典礼の歩みを通して,復活の意味を,教会は深めさせているのです。
では,復活節をどう過ごすかということが,今一番の問題です。与えられた光,あるいは洗礼という恵みを,今かみしめて生きていかないといけないときなのです。どのようにそれができるでしょう。使徒行伝の1章では,「彼らはみな婦人たちや,イエスの母マリア及びイエスの兄弟たちと共に心をあわせてひたすら祈っていた。」。この言葉の中に大切な要素が示されています。その一つは兄弟たちと共に祈り,共同体を作っていくということ,これが第一の課題です。教会が始まるためには「心を合わせて」兄弟たちと共に祈る,これを大事にすることです。幸いに,今年の聖週間は非常にきれいな儀式,典礼となりました。大事なことは,兄弟とともに祈る,典礼を何よりも大事にする,こういうことです。心を合わせて,新しい教会が生まれるように祈り続ける期間,これが復活節です。さらにマリアを中心として一緒に祈ったと言われています。マリア様を中心とした一つの教会が生まれるようにということを表しています。洗礼によって恵みを受けた私たちは,新しい教会作りへと招かれていることが分かります。
2つめは,御昇天の後に命令されることばです。「すべての国の人々を弟子としなさい」(マタイ28:19)。イエス様の復活を味わうためには,イエス様の言葉を伝えていくことです。その時に初めて復活の意味が分かるのです。伝えないと分からないという風に考えたらいいでしょうか。ことばは,自分で語っていくにつれて,その言葉が何となく分かってくるものです。伝えていないと分からないものです。復活節の朗読は,使徒行録を連続して読ませます。5週間も続けて読ませるのはどうしてでしょう。弟子たちはイエス様が復活したこと,イエス様が伝えたことばを,繰り返して人々に伝えていきながら,復活という意味を分かっていったのです。そして,聖霊降臨を通して新しい教会が生まれるのです。弟子たちがキリスト様のことばを伝えていくことで,教会が生まれたということを示すために,5週間も使徒行録を読ませるのです。
こうして見ますと,典礼というのはよく考えられて,私たちにいろいろなことを黙想させています。以上の考察より,自ずから今日の説教の結論が出てきます。復活の朝を迎えた今日から聖霊降臨まで,私たちはひたすら祈る,ひたすら共同体を作る,ひたすら神のことばを伝える。この3つの条件を満たす50日間を過ごすことです。この50日間心して,この3つの要素をどのように自分の生活に取り入れるか,ご自分でお考えになってくださるようにお願いいたします。
※司教様チェック済み