聖金曜日ミサ説教

2008年3月21日
於:番町教会

 今日は,第2朗読ヘブライ人への手紙5章の言葉をご一緒に黙想しましょう。こういう風に言っています。「キリストは,肉において生きておられたとき,激しい叫び声をあげ,涙を流しながら,御自分を死から救う力のある方に,祈りと願いとをささげ,その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であるにもかかわらず,多くの苦しみによって従順を学ばれました。」
 私たちの主は,生きているとき「激しい叫び声をあげ,涙を流した」と言っています。そのことのために「聞き入れられた」と結んでいます。私たちも困難や苦しみにあうとき,同じように激しい叫び声をあげ,涙を流します。しかしそれは聞き入れられないことが多いのです。なぜでしょう。イエス様は「その態度のゆえに」聞き入れられましたと言っています。その態度,イエス様はその態度のために聞き入れられました。でも私たちは「その態度のゆえに」聞き入れられないのです。
 では,イエス様の態度とはなんでしょう。それは従順と言っています。神に聞くという態度,神が望まれることを行うという態度です。このことのために,彼の叫び声も涙も聞かれたと結論づけています。
 私たちの態度は,聞き入れられない,それは嘆きばかりを訴え,時にはののしっているからです。神に聞くというより,一人でしゃべっているのです。だから叫び声は宙に浮く風のように散ってしまいます。神のもとまで届きません。
 私たちは困難にあい,苦しみにあう時にこそ,しっかりと神の声を聞かないといけません。私たちの多くは長い人生の年月を経てきています。伊達に生きてきた訳ではありません。年を重ねていくにつれて,謙虚に神の声を聞き学ぶということが大切である,これが今日のヘブライ書が教えていることです。

    ※司教様チェック済み