聖香油のミサ説教
2008年3月19日
於:桜町教会
第2バチカン公会議が終わって40年,今何が変わり,何が変わらなかったのかを確かめる時代に入っています。確かに多くの制度や組織は変わったけれど,公会議が目指したその精神は浸透したでしょうか。トレント公会議は,"頭と肢体の刷新"を目標にしました。結果として教義の確立,典礼刷新,カテキズムの完成,神学校改革,修道院改革に及びました。そして50年間で大きなうねりとなり,教会を活気付け,そのうねりは日本にまでやってくることとなります。バチカン公会議も目指すところは教会の刷新です。しかし,この公会議が特に位置づけているのは,現代社会に対応する教会ということでした。
現代社会は複雑怪奇で,とらえようがありません。しかし,教会は今この現代社会を,ニューエイジからポストモダンに代表される相対主義の時代と位置づけています。これに対応していくには,教会は武装してかからないといけません。手ごわい相手であり,少し油断すると丸ごと飲み込んでしまう化け物です。全てに価値があり,あれもいい,これもいいという結論を出します。表面は当たり障りがなくよいように見えますが,全てを飲み込む底なし沼のように人間を無力化します。この中で教会の教えをしっかりと守っていくのはとても難しいことです。しかし守っていかなければなりません。
これに対応するために,二つの路線が教会に見られています。敵の懐に飛び込むことが大切だと考える路線がその一つです。解放の神学とか,適応の神学はこの傾向にあり,その行き過ぎもあり,教会から牽制されました。しかし,考えてみると,イエス様が行ったのはこの方法ではなかったかということです。世間の真っ只中に生きて,キリストのことばを伝えるという理想は現在本物を求める人々の中に生き生きと生きています。
もう一つの路線は,怪物のような現代社会の前には深い霊性で武装しなければならないと考えている人たちによって実施されています。現在雨後の筍のように種々の運動が教会に起きています。いずれも典礼,祈り,黙想,共同体作りなどに全力を投球しています。それは教会刷新を目指すことでその評価がされています。
ただこれらを通して尚言えることは,これだけの努力をしている割には,まだ公会議の精神とは程遠いということです。教会刷新の真剣な問いかけ,そして現代社会に宣教していく方法など今真剣に考えてみる必要があります。教会刷新は緊急な課題ですが,それによって教会内部のことのみに終始しているのであれば,これを機に目を外に向ける努力を始ないといけません。社会にばかり向いているのであれば,教会生活の内部を充実させることを考えることです。主日の典礼,美しい礼拝,小教区評議会の充実などやることはたくさんあります。外に向いていない体質が目につくようであれば,地域社会に根ざした教会作りを考えましょう。そのためには協力宣教司牧が大切です。第2バチカン公会議が唱えた「神の民−教会」という理念を大事にしているシステムの一つが協力宣教司牧です。高松教区はこれを行うと決議しています。地方によっては温度差がありますが,協力して行う宣教のあり方については,司祭の皆さん,司教と一致して協力宣教司牧を通して宣教を行うということに同意していただくことをお願いします。
更に今年はナイスTを見直すことを日本教会は決めています。日本教会の方針にそって宣教を考えることが大切となります。目をしっかりと開いて,日本教会が何を目指し,どこに向かっていこうとしているのか,司祭の皆さんがまず見極めてください。
※司教様チェック済み