キリスト教一致祈祷週間説教
2008年1月24日
於:桜町教会
一致祈祷週間の終わりにキリスト教諸宗派の一致の日と定められていますので、初期の教会を例にとって一致という問題に触れてみましょう。
初期の教会はエルサレムに集約されていて、イスラエルを中心に動いていました。エルサレムは新しい共同体の中心であり、神殿はやはり共同体の中心でした。イスラエルと神殿、この二つに密着して初期のキリスト教はありました。ある意味でユダヤ教の一つの形体というふうに考えられていました。その中に異邦人が入ることができなかった訳ではありません。「神を畏れる人たち」がキリスト教に入信しました。しかし、異邦人に向けての活動というより、ユダヤ人への活動の副産物のような形で入信したのでした。従って入信するにあたって割礼を受けることなどは当然のように受けとめられていました。
しかし、早い段階から割礼を始めとするユダヤの習慣を異邦人に強制するのは好ましくないと考える人たちがユダヤ人の中にいました。彼らはヘレニストと呼ばれる人たちであって、ユダヤ文化と少し異なっている文化圏から来ているユダヤ人でした。異邦人と常に生活を共にしている人たちだったのです。彼らはユダヤ文化圏にどっぷりと浸っているユダヤ・キリスト者と少し信仰についてのとらえ方が異なっていました。ユダヤ・キリスト者は、メシア到来はイスラエルの回復を中心として考え、イスラエルを通して救いが終末に完成されると考えていました。そのために律法の遵守、神殿の参拝は欠かせない条件でした。また異教徒に対しても割礼を要求するということが起こりました。ヘレニストは、復活を信じるために必ずしも神殿に参拝する必要は認めていませんでした。また律法ではなく、メシアの時代というのは律法ではなく、キリストの霊によって導かれると考えていました。こうして早くからキリストのメッセージをギリシャ語に翻訳し、こうして異邦人への道を開いたのでした。
この後者の流れを決定的にしたのは、アンティオケの共同体でした。ここでキリスト教は確立したといってもよいでしょう。初めてここで「キリスト者」と呼ばれたのでした。アンティオケ教会の中心はバルナバでした。彼はパウロをさそって、アンティオケの共同体をつくりあげることに成功しました。この教会では異邦人とユダヤ人の区別がありませんでした。彼らは一緒に食事をしたりしていました。けれども異邦人に割礼を求めませんでした。大事なのはキリストの復活を信じること、入信のためには洗礼があること、新しい典礼の儀式を一緒に行うことなどでは両方が合意していました。
アンティオケ教会の新しい在り方をもっと掘り下げて、推進したのはパウロでした。パウロは律法にとらわれないキリストの教えを強調しました。ユダヤ文化圏に限らないキリスト教の在り方を模索し、実践に移していきました。こうして驚嘆すべき教会の発展が約束されました。アンティオケ教会は宣教師を各地に派遣するに至ったのでした。
エルサレムの教会の状況は随分異なっていました。コルネリオという異邦人の改宗が語られていますが、ペトロは冷ややかな視線にさらされたのでした(使行11.2)。エルサレム教会の監督であったヤコブはアンティオケの状況を分かるために、エルサレムから特別視察官を送ったのでした。彼らは異邦人が割礼を受けていないにもかかわらず、ユダヤ・キリスト者と一緒に食事をするのを見てショックを受けたのでした。私たちにとっては何のこともないと思われるのですが、当時のユダヤ人にとってはやはり大変なことでした。そこで彼らは一緒に食事をすることに反対しました。そこでは当然のように食事をしていたペトロも臆病になって、それを止めてしまいました。これを聞いてパウロは激しくペトロを非難したのです。
しかし、両方のグループとも、イエスの復活を信じ、彼こそメシアであることを宣言していました。共同体に入るために洗礼を授けていましたし、共通の典礼を行っていたのです。ただ異邦人を教会にどのように入れるかということで意見を異にしていました。ユダヤ・キリスト者は世の終わり、終末には全ての人が救われて教会に受け容れられると考えたのに対して、ヘレニストは今彼らは受け容れられ、新しいキリストの教会があると主張していたのです。ここで大切になるのは、エルサレムの会議でした。ここで妥協案だったとしても、異邦人に向けてキリスト教は宣教するという結論を出したのでした。
初期の教会の問題を考えて参りました。ここから次のようなことが考えられます。
1 既成の概念から一歩も抜け切れていない時には教会の発展は非常にむずかしいこと。例え教義の面で同じであってもそうなのです。
2 多くの民や文化と出会うことで教会は発展したこと。内の問題にのみかかわっている教会は発展性が少ないこと。
3 多文化、多宗教の中にあって、本質は変わらなくても、キリスト教は新しい形をとり、発展が約束されていること。
4 宣教しない宗教は教団の一致すら困難であること。
問題提起のみを行いました。今私たちが行っている一致週間にあたって考える材料を提供できたら嬉しいと思います。
※司教様チェック済み