聖マリ・ウージェニー列聖記念ミサ説教

2007年11月25日
於:桜町教会

 今年の6月3日,被昇天聖母会の創立者シスター・マリ・ウージェニーがローマで列聖されました。それを記念して今日のミサを行っております。実はシスター・マリ・ウージェニーとはどういう方だったのか私も知りませんでした。
 でもシスター高松から先日,英国の雑誌7月2日付け「タブレット」が渡されて,その中でウージェニーについての記事が,見出しを入れて3ページ位にまとめられていました。何気なしにそれを読んでいますと,実に懐かしい人たちの名前が出てくることでびっくりしました。それを読んだときにウージェニーとはどういう時代に生きた人なのかというのが私には分かりました。例えばラコルデールとかラムネーとかモンタランベールといった名前です。私は教会史を専攻した関係で,これらの人々が生きた時代というのは自分なりに理解し勉強し興味を持っておりました。彼女はこれらの人々と同世代の人だったのだという感触をつかみました。ウージェニーというシスターがこの時代を生きたとすれば,この時代の影響なり,ものの見方の影響を多分に受けていることは理解されます。
 フランス革命を終わって,フランスでは王政,旧体制は崩されていきます。さらにナポレオン時代を経て,その後ポストナポレオン時代として共和制時代がやって参ります。18世紀から19世紀にかけてフランスの歴史は大きく変動しました。
 革命を体験したカトリック教会は,古い体制の中で持っていた全ての特権を失いました。この新しい時代に生きたラコルデールとかその仲間たちは古い体制に戻ることはやめようということを主張します。世俗化された現代社会であるけれど,現代に目を留めていこうという運動を展開しております。現代にあるよきものに適応していこう,それを積極的に受け入れていこうという運動を展開します。以前は国あるいは王制とべったりで身動きならなかった教会が,古い体制が壊れ,新しい体制が生まれる中で,独立したもっと自由な教会を体験します。
 この新しい息吹は,パリを中心としてフランス全土に広がっていきました。新自由主義者または自由カトリック主義といわれる運動であり,社会の問題に関心を持っているのがその特徴です。同時に伝統に基づく信仰の教えを,現代人に強くアピールする方法を模索していました。信教の自由とか個人の自由とか教育の自由とか,個人の自由ということを主張し,個ということを強調していて,彼らは進んだ時代の人たちでした。当時の新自由主義者が強調したのは自由であり,そしてそれが18世紀,19世紀の人々の心を強く捉えました。ひいては大きな運動になりました。20世紀に入りまして,これらの運動はカトリックの伝統を守らない自由主義者とされて教会から一時期弾圧され,禁止されます。しかし彼らの動きを語らないで,19世紀のカトリック教会の歴史を語ることはできません。
 シスターウージェニーは,パリでラコルデールの説教を聞いて回心したと彼女自身が言っています。それは文化の洗礼であったと言えます。キリスト教と社会の中での自分の生活が遊離していると思っていた彼女は,ラコルデールの話を聞くことで変わります。キリスト教は現代社会の中に伝える言葉をもっていて,人々を引きつける魅力があることを理解したのでした。そしてシスターウージェニーはことばを深めること,ついで社会に目を向けること,この2つを始めます。ことばを深めることと社会に目を向けることは,彼女の回心の結果です。こうしてラコルデールとの出会いは修道会の設立にまで到らせます。1839年修道会が設立され,瞬く間に世界に広がりました。その状況はパンフレットに書かれていますのでそれをお読みになって下さい。

 先ほど紹介した英国の「タブレット」誌は,今回彼女が列聖された意味はこれであると要領よく締めくくっております。私も「タブレット」誌に従って話を進めて終わります。「タブレット」がいう彼女を聖人たらしめている最大の理由は,教会についての見方が斬新的であるということです。彼女は旧体制に戻ろうとするカトリックのあり方に批判的でした。すなわち,ネオコン的,保守的な方向に教会を戻そうとする言論に彼女は反対でした。むしろ,同時代の新自由主義者が唱える個人の自由,それから信教の自由,これらを大切にする生き方を強調しようとしました。王制に守られた以前のカトリックの黄金時代は,革命の歴史を経てすべての特権を失った時,初めてあるべき姿を見せてくれたのです。神様は革命を通して教会を新しく生まれ変わらせて下さったと,こういう結論に彼女は至ります。そんな時代だからこそ,あるべき教会の姿が見えるのです。もう1世紀前のことの話をしていますが,1世紀経った私たちも同じ体験を生きていると言えます。
 今の時代というのは,よりよき時代であると彼女は考えます。その理由は一人ひとりのキリスト者が自発的に信仰を生きる時代だからです。王様に守られてすべてが一団となって信仰を守っているのではなく,自由な社会の中で一人ひとりが自発的に自分の信仰を生きること,これを大切にしているからです。今こそ恵みの時であると,彼女は感じ続けています。従って彼女が創立した修道会は当時あった修道会とかなり違った様相がありました。当時の修道会は,どちらかといえば画一的で,団体的な規律を重んじていました。これに対してウージェニーのは,もっと個人の自由を大切に,一人ひとりが霊の力によって生きることが,修道院の力であると主張していました。これが,被昇天聖母会を発展させたたった一つの理由であると,「タブレット」誌は述べています。
 同修道会は教育の分野に大きな貢献をしております。ここでも彼女たちが強調した教育の視点があります。当時のカトリックの女子教育では,女の子は縫い物をすればいい,あるいは料理を作ることができればいいという良妻賢母型の女性教育を目指していました。ウージェニーはそういう風に考えませんでした。「女性は社会に貢献するために女性の特色を生かして生きなければいけない。女性特有の霊の賜物があるのであってそれを生かすことが大事である。教育は女性に自立心と社会に貢献する力を見いだすこと」という風に考えました。現代社会に女性が果たす役割ということに目覚めた教育がその主眼点でした。これがウージェニーの教育法と言っても良いのでしょう。日本では,例えば羽仁もと子の「自由学校」といった理念に似ているのでしょうか。
 「タブレット」がいうもう一つのことです。奉献生活,修道生活の基本とは,活動と祈りの調和にあるということなのです。彼女にとって現代社会で働くというのは,とても大事な点です。社会のただ中に生きることが大事なのです。社会の苦悩,時代の苦悩を分かる生き方をすることが大切なのです。従って,仕事をしないシスターを彼女は評価しませんでした。仕事ができないのではなくて,仕事をしないシスターを評価しませんでした。ただ祈るだけの修道女を彼女は余り好みませんでした。仕事を強調しているからといって,祈りをおろそかにしたということはありません。仕事ができるためには徹底して祈ること,黙想すること,それが大事だと教えます。しつこいほどそれを強調しました。その意味で,観想,黙想を大切にしたのがシスターウージェニーの霊性でした。

 「現代の霊性」ということが最近話されます。現代の霊性というのは働く霊性です。その働きができるために徹底した黙想,観想が必要であるとヨハネパウロ2世は述べています。祈りに基づいた活動を展開することがシスターウージェニーの霊性です。高松でシスターウージェニーのお祝いをする今日,聖母被昇天会がこの教区の中で果たされた役割,福音の種まきの多くの仕事に感謝しながら,今日のごミサを続けていきます。

    ※司教様チェック済み