年間第15主日ミサ説教
2006年7月16日
於:桜町教会
今日は,サレジオの志願生たちが来て下さっているのにあわせまして,1人の神父さんのことをお話ししたいと思います。
仙台教区の岩手県に,二戸という小さな町があります。そこに日本家屋の小さな教会があります。ここに50年働いたスイス人の神父様がいました。シュトルームという名前ですが,ドイツ語でシュトルームというのは「嵐」という意味です。実際,嵐を呼ぶ男,シュトルーム神父というふうに私は思っておりました。
彼は,二戸市に2000本の植樹をしました。50年間,町を緑で埋めるという仕事をしてきました。森に転がっている枝を切りまして,それを薪にして,風呂も暖房も全部薪で行っておりました。私が行ったときも全部薪でした。朝起きますと彼はそこに来る少ない信者さんと一緒に,教会の祈りの詩編をギターの伴奏で歌って,それが終わったら日本家屋で座ったままミサを行っておりました。ミサの前に,彼は30分間座禅をしていました。山羊を飼っておりまして,その山羊の乳でチーズを作っていました。菜園も作っていまして,野菜は全部手作りでそれを売って生活をしていました。彼のチーズはとても有名でした。彼の所には多くの心の病んだ人が来ては,その小さな家に泊まっていきました。古いその日本家屋は,岩手県の人々の心の憩いの場所でした。
彼は戦前は中国で働いていましたが共産党が入ってきて追われ,そして日本の宣教にやってきた人です。故郷のスイスには一度も帰っていません。私が「一度帰ったらどうですか」と言った時「私はもう帰る必要がない」,「私は日本に骨を埋めるために来た。」と頑固なくらいそれを主張してやみませんでした。冬の寒い日は外に出ることが出来ませんので,草履をあんだり,薪からマリア様の像を作ったりしておりました。すさまじいほど目が鋭いマリア様でした。決してやさしいマリア様ではない。私もそれをいただきましたが,四国に持って来ようという気にはなりませんでした。岩手県花巻に宮沢賢治という詩人がいますが,シュトルーム神父様の生活は賢治の「雨にも負けず風にもめげず」そのものでした。薬草を煎じて飲んで,病院には一度も行きませんでした。
彼のミサは非常に長く,沈黙がとても多かった。その沈黙の中で,日本家屋を打つ風の音,薪がぱちぱちとはぜる音,水の音,小鳥の声,それらが全部聞こえていました。私は,彼のミサを長いとは一つも思いませんでした。一昨年85歳の生涯を終えました。全く何も持たない,全く無一物の死でした。私は仙台を発つ2年前のちょうど今頃,病床の彼を訪ねました。そして病者の塗油を授けました。今仙台教区の司教になっております平賀神父さんが一緒で,平賀神父さんが「神父さん,司教さんだよ。お別れに来たんだよ」というと「うん,わかった」とことばには出せませんでしたけど,頷いてくれました。最後に手を握りまして「これでお別れだ」ということを彼に言いました。本当に会うことはないだろうなと思いました。実際その通りになりました。
私は,こんな神父がこの世にいるということを,仙台の中で実感しました。文句なしに,生きていること自体が宣教でした。二戸市も岩手県も県民栄誉賞とか農業推薦賞とかいろんな勲章をあげようとしましたが,決して受けませんでした。しかし,二戸市で彼を知らない人は誰もいません。古い二戸の民家の写真を撮っていて,50年前の岩手県の民家がそこにはきれいに写されております。立派な芸術家だということも証明されております。50年前の日本がそこには生き生きと写されております。日本という国を愛した一人の宣教師の姿が,そこには見えるような気がします。
私は現代日本の教会で,こうして徹底して生きている宣教師,司祭がいなくなったということに,教会が伸び悩んでいる理由があるのではないかという気がしてなりません。そして,それは自分自身に対しての,恥ずかしい想いでもあります。「キリストの愛が私達を駆り立てます。」と聖パウロは叫んでいます。それは私達のために,あの方が死んで下さったからです。無一物で全部を捧げてくださった方が彼です。私達はこういう信仰をどんなに軽く見ていることでしょう。都合のいいときだけの教会,何かがあればさっと逃げていく,そんな人の集まりである限り教会が発展するはずがありません。司祭であり宣教師であることはやさしいことです。来ればいいと考えているのだったらとてもやさしいことです。でも命を懸けてでも自分の生き方を貫くというのは,大変なことです。これを成し遂げて行った人がいるということが,私には大きな大きな示唆であり慰めでした。
シュトルーム神父さんの生き方を見た時,私は本当に恥ずかしくてなりませんでした。説教や話より,彼は農業で苦労して働く人たちと一緒にいました。自分の労働の実りを人々に配りました。日曜日のミサの後は,みんなで,彼が作った野菜とチーズとパンとを食べました。日曜日のミサの後は,手作りの料理の家庭の集会でした。そして,毎日は徹底した祈りと黙想に彩られておりました。洗礼を授けた数はそんなに少なくありません。しかも授けた人の大半は精神的に病んだ人,あるいは死に行く人たちでした。しかし,二戸市の中に,岩手県の人々の中にシュトルーム神父さんの思い出は生き生きと生きています。その思い出は,必ずどこかで実りを結ぶと私は信じて疑いません。
今日サレジオの若い学生が来ています。若い人たちにも同じことを私は呼びかけてみたいと思います。「あなたの人生は,あなたが教会に来ている意味は?」「一時の気休め,又は遊び?」今日の出来事を通して自分の人生をしっかりと見つめるいいよすがになってほしい。
※司教様チェック済み