教皇大使高松教区訪問 歓迎ミサ説教

2006年5月7日
  於:桜町教会

 復活祭以降,復活節,聖霊降臨祭まで,教会では週日と主日にヨハネの福音書とそして使徒言行録が読まれております。今日はどうしてこの2つが読まれるのかをご説明して,教皇大使の訪問とあわせて考える材料を提供したいと思います。

 まず,最初に使徒言行録です。42箇所,使徒言行録がこの季節に読まれます。週日と主日とを合わせての数です。その42箇所の大半は前半の部にかかっております。後半のところは最後の3箇所だけです。これはどういう選択で選ばれたのでしょうか,考えてみましょう。まず,最初の2章から7章までの14箇所が選ばれています。ですから4分の1は最初の7章に絞られているということになります。エルサレムでのペトロの説教から始まりまして,ステファノの殉教,ここまでが話されます。その実,使徒言行録は,聖パウロが異邦人にどのように宣教していったかという物語が大部分を占めております。それでも,教会はこの時期にパウロの活動ではなくて,初代教会の姿の方を見せています。聖霊降臨まで教会共同体とは何であるかを考えてほしいと,こういう意向で使徒言行録の箇所が42箇所選ばれました。19箇所がパウロの宣教ということについて述べられておりますが,パウロの宣教が主ではなくて,パウロが造った教会はどんなものであるかということが述べられております。すなわち教会はこの季節に初代教会とはどんな教会だったのかということを,今の信者さんに考えて欲しいとお願いしているわけです。
 では,初代教会とはどんな教会だったのでしょう。使徒言行録を読みますと,ユダヤ人とユダヤ人でない人が一緒になっている教会,これが使徒言行録の中の教会です。この一緒になっている教会は聖霊降臨によって始まります。バラバラであったものが,聖霊降臨を通して一つにまとめられていきます。そして,当時のローマの社会に向かって生き生きと自分を発展させていく教会の姿になるということを意味しております。これはイエス様が天に昇って後のことでありまして,イエス様を肉眼で見ない時代に入っております。教会というのはイエス様を肉眼で見ない時代なのです。肉眼で見ることなく教会に信仰を与え,イエス様を見るという仕事をするのは聖霊だということです。
 では,ヨハネの福音書がどうして読まれるのでしょう。ヨハネの福音書の箇所がばらばらに読まれています。でも共通している点があります。洗礼について,聖体について,そして愛の掟について,最後の晩餐においては信仰による共同体ということを語っております。すなわちイエス様を肉眼で見ないで生きる時代,それは教会の時代であり,それは聖霊によって生かされる時代であり,洗礼によって,聖体によって生かされる時代なのだということを表しております。
 しかし,初代教会にも問題がたくさんありました。その一番大きな問題は,外面的な面と内面的な面,この調和に欠ける時代であったと言っても良いと思います。外的なこと内的なこと,組織と霊性,この2つが調和して存在する教会ということを考えていただきたいというのが教会の希望であり,だからこそヨハネの福音書と使徒言行録を読ませているのです。
 ヨハネの福音書は,教会とは何かを語っております。一人一人の信者の魂の中に聖霊が下ること,洗礼によって永遠の命が始まること,永遠のパンによって養われること,3章,6章,1章とこういう風にして読ませております。今日の福音書では,(10章)良い牧者によって導かれていく教会があることを見せています。最後の晩餐ではイエス様が信者の一人一人,弟子達の一人一人に,愛の掟を示して聖霊を約束してくださいます。これがヨハネが読まれる理由です。使徒言行録は聖霊によって生かされた人々が,どのように古代のローマ社会に生き生きと福音を伝えていったかを見せてくれております。エルサレムの共同体からギリシャの世界へ,ローマの世界へ,そして異邦人の世界へと,様々な人々が登場しては様々な形で教会を発展させていきました。

 少し難しい話をいたしました。でも,使徒言行録とヨハネを並行してこの典礼の季節に読ませておりますのは,大きな意味があるということがお分かりいただけたと思います。すなわち教会は聖霊によって生かされ,生きている時代であるということ,ヨハネは一人一人の信者が内面的に霊性に深く生きないといけないということ,使徒言行録は現代社会に向かって生き生きと働きかけないといけないということ,この2つの面を示しております。
 私たちは今日,教皇大使をお迎えしてミサをたてております。本当は教皇大使がこのミサを捧げればいいのでしょうが,言葉の関係などがありますので,私がいたしました。今,高松教区も含めまして,教会は内面・外面両方の刷新というのを要求しております。片一方だけに偏りますと,本当の教会の姿が見えなくなります。組織だけに偏ったり,外面的なことだけを重視していけば,教会は力を失います。むやみに霊ばかりを主張したら原理主義的な傾向に走って,現代社会の中には大きな力を持つことができません。霊性を深めないといけない,でも調和のある霊性,これが大切です。組織をどのように生かすか,これも真剣に考えないといけません。ただ行事をすれば良いというようなものではありません。本当に深く,それを通して現代社会にどのようなメッセージを与え続けることができるかを真剣に考えないといけない時代に入っております。教皇大使の今回の訪問を通しまして,高松教区の上に大きく聖霊が働くことを,私は信じております。またこの教区は,大使の助けをどうしても必要としております。今,立ち上がらないといけない状況にあります。真剣に教区とは何であるか,私たちの愛する教会とは何であるか,これを考える良い機会,良い週間になるように,共々お祈りするようにいたしましょう。

    ※司教様チェック済