四旬節第3主日ミサ説教 ヨハネ(2:13−25)コリント前(1:22−25)
2006年3月19日
於:福岡大名町教会
今日の福音書で不思議な言葉にぶつかります。「イエスがそのなさったしるしを見て多くの人がイエスの名を信じた。しかしイエス御自身は彼らを信用されなかった。」イエス様を信じてついて来ているのにイエス様はその人たちを信用しなかったというのです。どうしてでしょう。キーワードは「しるしを見た」という言葉にあります。
彼らが見たイエスのしるしとは何だったのかをわかる事から始めないと、どうしてイエス様が信頼しなかったかという意味がわかりません。
彼らが見た「しるし」とは何だったのでしょう。「偉大な力を発揮するイエス様の姿を見たかった。」これが彼らのしるしだったのです。
人々を引き付け、人々が賞賛し、目に見える形でグループを作り、大きな権威を発揮するこんな人物を想像していました。
現代日本におきましても、どうしてこんなに教会に来る人が少ないのでしょう。司祭になる人もいない、それに比べて隣の韓国は信者になる人が多くて、神学校はいっぱいで、司教の権威は大きい、云々と、沢山「なげき節」を聞くことがあります。
私は高松教区という日本で一番小さな教区を担当しております。そこに赴任したとき、邦人司祭、日本人の司祭は4人でした。内3名は82歳で、最後一人は64歳でした。小教区は26あり、全部で5200名の信者数です。その大半は60歳以上のお年寄りです。修道会がありますが、都会に若い修道者を送って、まず地方の小さな教会、修道院を閉鎖していっております。ある意味では私たちの教区は絶望的です。でも、考えてみますと教会というものを、いつも大きな物、目に見えて人々を引き付ける物と考えているところに問題があると言えます。
イエス様が信用されない理由は、なにか目に見えて人を引き付け、大きな権威をもつ教会を考えている人たちだから信頼しなかったわけです。
こう考えますと、私は日本で一番小さくて貧しい教区にいることが一番イエス様から愛されている証拠だと思うことがあります。又、自分にそういうふうに納得させようとします。
ここで、イエス様が信用されないもう一つのことがあります。それは、してあげるという体質のことです。日本は、鎖国の状態にあるときにアメリカの船が来て、鎖国を止めて国を開けと、大砲を打ち込むと言う脅しをいたしました。結果的には、それで近代日本が誕生しました。しかし、そのやりかたにはやはり私は納得がいきません。同じことを日本は朝鮮半島に行いました。鎖国政策を取った朝鮮半島の政府に強要して日本は国を開かせようとしました。
私たちの教会には司祭が不足したり、若い人がいなかったりという不足だらけです。そこに、救世主のように現れる、私たちが助けてあげようと言う人たちが出てきますと、やはり不快の思いに駆られます。結果としてそれによって教会はより良き方向に行くかもしれません、しかし、福音の精神はそれと少し異なっている気がします。
仙台教区にいました頃、青森県に一つの小さな8人だけの信者さんがいる教会がありました。「私達は8人だけでこんなに歳を取っていて教区への分担費も払えません」とストーブを囲んでお年寄りたちが私に話をしました。私は「今まで教会を守ってくださってありがとう。教区費を無理して送ることはありませんよ」と申しました。でも4年のうちにその教会には2家族の先生の家族が転勤してきましたし、葬儀屋さんも転勤してきまして子供が十数人いる教会になりました。お別れに最後にその教会でミサをあげた時、今のこの状況を考えたら、「人間の見方だけで短絡的に見たらわかりませんよ」という言葉を残して私は青森県を去りました。
今日の書簡で聖パウロは、「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。」と書いています。
もう一度最初の話に戻しましょう。イエス様が信頼している人というのはどんな状況にあっても、神様がしてくださると信じて頭を下げる人のことです。人の目に絶望的に見えても十字架につけられたイエス様の姿を見て、この方がしてくださると信じている人達のことです。こう考えますと、又、繰り返しますけど、私は日本で一番貧しく、一番小さく、ないないばかりの教区にあってこそ、イエス様が一番好まれる道を歩むことが出来るのではないかと思います。
※この文章は溝部司教様の校正と配布許可を受けています