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教区づくりを目指して

 私が高松教区に就任してから十ヶ月が過ぎようとしています。この間何をしたか、どのような成果をあげたか、自分では到底計り知れません。ただ、ここで申し上げたいのは、私が高松教区に赴任したのは、教区の一致を築き上げるためであるということです。それは日本の教皇大使を通して教皇様の意向として私に示されました。また、日本の司教団もこぞって、高松教区の一致を目指してという意向で私を高松教区に派遣することに同意しました。全く蚊帳の外にいた私にとって、この任務の重大さもよく認識することもできず、そして経験不足からくる不確実さも重なって、何をどのように、そして何よりも何から始めるかということで強く迷いました。今言えることは、高松教区については、司教の確かなイニシアティーブにかかることが多いということです。

一 歴史より学ぶ
 私は歴史を学んだものとして、まず司教不在に起きた歴史的事実を述べることからこの文書を始めたい。日本26聖人殉教者が生まれた歴史的背景を考えてみましょう。1587年豊臣秀吉は禁教令を発布して、すべての司祭は国外に去るようにと命令しました。しかし、イエズス会は日本に潜伏することを選びます。潜伏しながら為政者を刺激しないために教会を建てたり、公然と説教したりすることをせず、自粛するという路線をとりました。その間信者の養成に力を注ぐということを決めます。数年後新たにフランシスコ会の司祭がマニラから来て、公然と説教し、教会や病院を建てたのです。しかもその熱心さにひかれて、日本人のある信者たちは、彼らの教会にひきこまれました。イエズス会の方針と全く異なって、そのグループは公然と宣教を行ったのです。その間サン・フェリペ号が難破し、土佐の浦戸港に入港し、その積荷の没収を契機に迫害が始まり、26人が日本の教会の初穂として捧げられました。結果的には捕らえられて殉教したのは大半がフランシスコ会関係の人たちでした。
 ところがこの殉教に関してある歴史家(フロイス)は、殉教の原因は教会内部の争いがもとであったという見解を示しています。もし、フランシスコ会がもう少し賢明であったなら、もし今まで働いていたイエズス会の知恵を借りていたならと言います。更にもしイエズス会が柔軟に対応し、対話に応じることができたならとも言います。何よりも大切なことは、状況をしっかりと判断することが必要だったということです。
 1614年徳川の禁教令が発布されたその年に、日本の司教セルケイラが死亡しました。迫害が始まり、全ての宣教師に国外追放が命じられます。大事なその時に、司教不在という不幸な状況が起こったのです。そして、教区管理者を誰にするかということで、教会は内部でもめます。7人いた教区司祭は最初イエズス会の準管区長カルバリオ神父を教区管理者に選びます。しかしフランシスコ会とドミニコ会の神父たちは、この選挙は無効だと訴えて再選挙をさせ、カルバリオ神父を罷免させます。この間に長崎には続々と国々を追放された人たちが集まり、指導者がないまま勝手に聖体行列や、その他のデモに似た信心業を行い、長崎市はパニック状態に陥ります。幕府はそんな興奮した長崎を冷ややかにみつめ、着々と聖職者を国外追放に帰すことに成功したのです。
 同時代を生きたある司祭(ロドリゲス・ジラン)は次のように結論付けています。「もし、カルバリオ神父が他の人、特に日本人に対して優しく接する性格を持っていたなら・・・」。「もし、フランシスコ会の管区長チンチョン神父がもう少し柔らかなことばを使っていたなら・・・」。「もし日本人の司祭たちが自分たちで判断する力と決断力を持っていたなら・・・」。   困難な時期に遭遇したからこそ、自分が絶対だと思っていることをも捨ててでも、日本教会のために何かの妥協をし、一致した方針に向けていくべきだったということなのです。

二 今後の方向性
A みことばより出発する
 着座のとき、[聖霊による一致]というモットーを私は掲げました。これを単なることばの遊びとするのでは意味がありません。失望しながらエルサレムを後にして歩んでいた弟子たちのそばをイエスは共に歩いておられます。そして、親しくなるにつれて聖書のことばを説明し、徐々に彼らの心を燃え上がらせていきます。最後に「ともにお泊まりください」というところまで彼らを導きます。一致が生まれるには神のことば、聖書のことばの深い意味を理解し、味わうことが大切です。人の思いにとらわれて、自分を正しいとすることは不一致をもたらします。今高松教区に最初に求められることは、ことばを深くとらえ、みことばから出発することです。各小教区でこれがどのように実現できるか真剣に考えていただきたいと願っています。教区自体も小さいなりにことばを学ぶ機会を信者に提供しなければならないと思っています。どのようにすればよいのかただ今思案中です。また、インターネットや教区報、カトリック新聞、雑誌など多くのものが出版されています。日本教会の動き、世界の動きに目をとめる必要があります。

B 司教とともに
 初代教会より、カトリック教会は、司教が一致の要ということを説いています。そして、それは今も変わりません。アンティオキアの聖イグナチオは、迫害と異端の時代だからこそ司教との一致が大切であるということを強調しています。特に教えについて、典礼について、そして司牧方針について司教は絶対の権限を持っていると言えます。しかし、司教と話して許可を貰えば何をしても構わないということではありません。司教も教会法の枠の中にあります。その枠の中で、自分の裁量を最大限に活かして教区をしっかりと統治し、教区を発展させるのです。

 教会法の枠の中とは何をさすのでしょう。教会法は、司教は司祭評議会に支えられないといけないと規定しています。決定する権限は司教にあるとしても、ある重要な事柄に関しては必ず司祭評議会に諮問しないといけないのです。通常の場合は、司教は司祭評議会の同意のもとに決定していきます。高松教区においては新司教とともに司祭評議会が新しく発足しました。ただし、この司祭評議員も自分個人の意見だけを司教に答申するといった種類のものではありません。同僚の司祭の意見を聴き、それを評議会に持参し、教区全体のものとして扱う必要があります。司祭評議会の重さというのが理解いただけるでしょうか。
 教会法はもう一つの組織について述べています。それは司牧評議会ということです。教会は信徒と聖職者によって成り立っています。どうしても信徒の声を吸い上げる組織が必要です。カトリック教会は歴史が長いだけに、このことの必要性をよく弁えています。司牧評議会を立ち上げるのは司教の自由な裁量だと教会法は述べていますが、本音は司教は信徒の評議会を聴かなければならないと考えています。私もその通りだと思います。教区は聖職者と信徒が共につくりあげていくものであり、共に苦労してつくるものなのです。司牧評議会は決して単なる活動団体の総括ではありません。むしろ司教とともに教区を考えるブレインなのです。したがって司牧評議会は、司祭評議員の場合と同じように個人の意見を持ってくる場ではありません。むしろ信徒の意見を吸収して、それを通して教区をより良き方向にもっていくように司教に助言し、司教を支える役割をもつ人たちなのです。

 この二本の柱に支えられて司教は教区を統治します。教皇様はこの地域の教会を司祭、信徒によって支えられた司教を中心として統治し、宣教していくのを望んでいます。そして、司教の大きな役割は、教えること、典礼を中心として祈る教会を実現すること、教区の司牧、宣教方針を決めていくことです。そのためには司教にとっては、司祭を、信徒をよく聴くこと、司祭にとっては司教の良き協力者であること、信徒にとっては何よりも信仰を深めることが求められます。そして司教と司祭との真摯な対話、司祭と信徒の対話、信徒同志の対話、これが今高松教区に求められていることです。司教は何でも自由にできると思ってはいけないし、司祭も自分の思うがままに教会を支配してはいけないのです。同様に信徒はただ従っていれば良いというものでもありません。私たち全員にとって、何よりも信仰のあり方を深めることが一番大切であり、より良い教区づくりには今何が必要なのかを真剣に考える時なのです。

三 手を取り合うために
 信仰を伝える方法について違いがあっても、共通の目標に向かって共に手を汚して、あるいは手を取り合って苦労することが必要だと私は感じています。その意味で委員会の活性化をあげたい。例えば今年のケルンの青年大会には皆で協力して青年を送ることとか、人権の問題とか、平和へのアッピールとか、力を結集してみるとよい。広島への平和行進など全教区で参加してみるなど、考えてみたい。徒らに理論闘争をするより手を取り合って神の国の実現に向けて歩むことの方が良いと信じています。
 更によく言われたことは情報が伝わらず、何とか秘密のうちにことが進行したという批判です。これに対してはどのように考えたらよいのでしょう。12月の司祭評議会で広報委員会を立ち上げることを提案して、それが可決されました。私はすぐに信徒使徒職協議会に諮って広報委員会設立をお願いしました。幸いなことに早速ことの実現に努力して下さり、ご存知の通り「高松教区報」が発行されました。司教の思いを伝える機関紙なしに、教区の風通しがよくなるはずがありません。また、透明なる教区の運営なしに疑心暗鬼は募るばかりです。これは会計に関する事務局のあり方についても言えることです。ただ、これを言ったからといって、よそから来た私のような者がすぐに状況を把握し、全てをカリズマ的に解決することは不可能です。司教は確かな助言者を持ち、将来に向かって歩むヴィジョンを持たないといけません。それができるかどうかは、今の私には不安な材料がたくさんあります。ただ、前進するには今のままを黙認、または全部を拒否ということは許されません。あるがままの状況から、何か一つの和解と一致に向けて歩みだすより他に方法はみつかりません。

四 宣教について
 高松教区は小さな教区であり、信者数は微々たるものです。それでも四国四県にあってキリストを証しし、そのことばを伝える使命を有しています。これまで 高松教区は内向きに過ぎたきらいがあります。内なる問題以上に外に目を向け、現代社会に開かれていく必要があります。私たちをとりまく社会が何を求めているかを理解し、それに応えていくことが宣教です。人々への宣教を効果的に実現するにはどうすればよいのか、何からはじめたらよいのかなどを真剣に考える時でもあります。各小教区から始まり、教区としても宣教に向かう知恵を出し合う対話の機会を提供して頂きたいものです。

結語
 私は思っていることを率直に述べたつもりです。何よりも信仰をもってありのままに状況を受け入れること、そこから出発することを提案したい。「聖霊による一致」という私のモットー通り、聖霊の力を信じて、いかなる事態にあっても、決して揺らぐことのない不退転の決意をもって歩むようにいたしましょう。そのためには、今何を譲歩し、何を提案し、何に向かって歩むのか、衆知を結集して高松教区の再建に歩みだすことです。必ず私たちの信仰の歩みを神様は祝福してくださり、恵み多き教区となることと信じて疑いません。

二〇〇五年五月一五日          
聖霊降臨の祝日              
高松教区司教        
フランシスコ・ザビエル 
溝部 脩