山口家結婚式説教

2005年10月9日
  於:大浦天主堂(長崎)

 秋のよき季節に新しい門出を迎える新郎新婦ならびにご家族の皆さんに心よりのお喜びを申し上げます。新郎新婦のお二人とは関わりを持っていませんが、新婦の山口さんのご家族とはここ大浦天主堂を通して親しくお付き合いすることが出来ました。仲のよいご夫婦といつも感心しております。
今 回は式を司式することが出来ることが私の大きな喜びです。今から一生誓う式があります。これは大変なことです。若いから出来ることなのでしょう。でも一生誓うことの中で不純な考えは捨てないといけません。「うまくやっていかなければ別れればいい」という考え方です。うまくやれるか、やれないかではなく、一生添い遂げてみようという意志のほうが大切です。

 一生誓う事には当然のように人生の荒波が襲ってくることを前提としています。波風がない人生なんて考えられません。それを百も承知の上で二人は誓い合うのです。だから、結婚式はすばらしいのです。
 私は修道者といって神さまに誓願を立てています。20代で一生を神に捧げると誓いました。そして誓った若い頃より40代から30年間のほうがずっと大変だったという実感を持っております。誓ったことの意味をいやというほど知らされたからです。
 聖書の中にこんな話が載っています。父親が兄のほうに「畑に出て働かないか」と言ったところ、兄は「いやです。」と言ったけれど思い直して畑に行った、といいます。弟は「はい」と言ったが行かなかった。この「思い直す」ということが大切な言葉です。人生の中で失敗や、罪を犯すにちがいありません。その時に思い直してやり直すことなのです。失敗した時、威丈高になって相手を罵っているなどというのはいただけません。失敗した時こそ謙虚になり赦しを請うて出直すのです。
 聖書の中の最後の本は黙示録といいますが、その中である教会に対して「最初の頃の愛を忘れたのでおまえを罰する」と述べています。
 結婚式は原点です。これを振り返ることです。人生でにっちもさっちもいかなくなったその時に、今日のこの誓いの日に帰ってみることです。

 最後です。人間は自分一人で生きていると思い上がってしまいます。でも、人間の力などたいしたものではありません。どんなにジタバタしたって、自分が出来ない何かに必ずぶつかるものなのです。その時、慌てないで今日の原点に帰ってみてください。
 今日の原点とは二人の真中に神さまの手があるということです。お互いだけを見つめていては、いつかは破局が訪れます。真中に二人の愛を包み、育んでくださる神様を置けばそこには豊かさがあり、喜びがあります。
 

    (この文章は溝部司教様の校閲、発表のご許可を得ています)