桜町教会創設50周年・下田武雄神父金祝記念ミサ説教 マタイによる福音(11:25-30)
2005年7月3日
於:桜町教会
本日は,桜町教会の50周年に当たってということで,50年前の歴史を調べてみました。50年前、1955年にはこんなことが日本で行われております。非常に大事な年で,この年に日本の政界には大きな出来事がありました。日本はアメリカと合同しながら反共路線というのを打ち出して,ソ連や中国という共産の国々が日本の中に浸透してくるのを非常に怖がっていました。その中で、分かれていた保守党を保守合同にする機運が活発になり,日本民主党と自由党が合併し,現在の自民党が発足しております。それと同時に,戦後処理を中心とした吉田茂内閣が解散して,改めて鳩山内閣が発足しました。皆さんの多くの方々はそういう時代を覚えておられると思います。鳩山内閣は,戦後が一応終わったというふうに考えまして,独自の外交を展開しないといけないということを主張致します。こうして自主外交路線というのを打ち出しまして,ソ連との国交樹立とか北方領土回復とか,こういう路線を打ち出しております。経済的にも,戦前のレベルを乗り越えたという判断がなされまして,精神的な打撃からも少しずつ立ち直っていきます。アプレゲールという時代が目に見えてわかってくる時代となっております。日本が自信を持ち始めた,そういう時代と言っても良いでしょうか。猪木武徳という歴史学者がいますけれど,1955年を象徴してこんなことを申しております。「政治経済の内外の枠組みが整い,これからさらに生活を充実させようと再出発のスタートラインに立った年,これが1955年である」ということです。
考えてみますと,私がサレジオ修道会の修道院の門をくぐったのはちょうどこの年でして,割合よく覚えているような気がしております。終戦後10年、日本が非常に大きく変わった年,それが1955年です。カトリック教会の歴史をみますと,ちょうどこの55年というのは,一つの大きな区切り目になっております。戦後たくさんの修道会や宣教師が訪れてきます。この55年ぐらいがそのピークになっております。それから後ぐっと減っていき,日本の独立の自分の教会をつくっていこうとする機運が生まれてきていました。それまでは外国の宣教師によってつくられた教会を,少しずつ日本の教会に,日本人の手に、という政策転換が行われたのが,55年位のことでです。敗戦直後の教会ブームというのが,この55年から60年にかけて少しずつ落ちていきます。たくさんの人が洗礼を受けてたくさんの人が教会を訪れた時代が、この辺で変わろうとする、こんな時代を表しております。
この四国においても,この50年代にたくさんの教会が生まれてきております。その中にこの桜町教会もありました。おそらく,私たちが今想像もできないほどのエネルギーにあふれていた時代でなかったかと思われます。何かを作らないといけないというあふれるエネルギーで、こういう形で教会とか、教会堂とかがつくられたのでしょう。そのころ,司祭や修道者の召命があふれるほど出ていました。今50年を経て,私たちはまた大きな転換期に立たされております。もう日本は日本の中だけで考えることができない。グローバル化の中で,金も人も物も経済も全部世界の動きの中に入れられてしまっている、こんな時代を生きています。こういうグローバル化の中で生きていく日本人というのが,今の一番大きなテーマになっております。責任説明のない,人任せにしてしまう、こういう日本人が多いというのが、今の日本の一番大きな問題です。こういう世界だからこそ,自分がしたことをきちんと責任説明ができる人間の育成に、今はかけないといけません。今の日本の教育は、この方向に向けて行われる必要があります。
日本の教会は,この50年間日本の文化ということを意識し,日本人による日本の教会の樹立ということを目指してがんばってきました。しかし,そこもたくさんの制約があり,うまくいかなかったことがたくさんありました。それでも50年たっても、私たちには同じことが問われております。すなわち人任せの教会ではなくて,もういちど一人一人が自己責任説明,英語でいうならアカウンタビリティ「きちんと自分のしたことを説明する」信徒になることが大切です。「自分の信仰に関してきちんと説明ができる。」こういう信徒が今一番求められているのです。人任せの信仰ではなくて,自分が自分の人生をしっかりと見つめるための信仰を求められる,こういう時代に入っています。
こういうことを考えながら,今日の福音書を見てまいりましょう。「疲れた者,重荷を負う者は私のもとに来なさい。」とイエス様がおっしゃっております。この疲れた者というのを単に人生に病み疲れたという考えているよりは,全体の文脈から考えてみることが大切です。重荷を負う者というのは,「律法の軛(くびき)を背負ってあえいでいる人は私のところに来なさい。あなたを自由にしよう」と,こういう意味で扱われているということです。
すなわち,「掟という宗教からあなたを自由にしましょう」というのが,今日の福音書の箇所なのです。掟というところから一歩も抜け出しきれない,ここには信仰の本当の意味での自由,本当の意味での人の生き方,そんなものに到達しません。形骸だけの宗教になる可能性が強い。50年たった今,四国の教会も多くのしがらみや軛から解放される必要があるかもしれません。イエス・キリストという方にすがって,「あの方を知ることでしか解決ができない。」と考えてみることから始まります。私の思惑と私の頭だけで、すべてから自由になることはあり得ません。「あの方にすがる」これが大事な点です。私たち一人一人が持っている多くの軛,それがキリスト教の根幹となる愛の教えを曇らせている状況を作り出しております。どうにか自分が持っている軛から解放されないといけません。何かを断ち切らないといけません。大切なのはもう一度勇気を持って,信念を持って,イエス・キリストを証しして生きるということを一人一人が自分に問いかけていくことです。何となく神父さんに付いて行く信仰でしたら,変わらないといけません。何となく教会に来た40年間でしたら,変わらないといけません。何となく人が言うからという信仰でしたら,変わらないといけません。あなたが本当に心の底から信じ込んでいる,これが一番大きな課題だということです。
今年の教勢を今度の「高松教区報」でご覧になったと思います。ほとんど伸びがないばかりか,むしろ減少に歯止めがかかっていないということを,私たちは統計の上で見ております。なんと考えたら良いのでしょう。数を増やせばいいと私が言っているわけではありません。でも,一人一人が自分の生き方に信念を持って自分の職場で,自分の家庭で,自分の学校で,自分の信仰を生きている姿,愛している姿,これが見えないところに教勢が伸びない理由があります。今一番大事なのは,「社会に福音を」ということを最大の問題として意識することです。この教会の中で内々に愛し合うくらいでは仕方がありません。私たちが生きているその現場で,肩から力を落として,今生きている人々と一緒に軛を分かち合って生きていく,そこから宣教とか福音とかいうことが始まる,こんなことに気づかないといけません。
軛から自由になって,初めて一致とか平和とか喜びというのがもたらされます。逆に言えば一致とか喜びとか平和がないところは,一人一人が軛から自由になっていないという確かな証ではないかなという風に思われます。ある軛とかある想いにとらわれてがんじがらめになっているとき,不自由になってしまいます。悪いことは他人にそれを強制してしまいます。押しつけがましくなります。自由でない,肩の荷が下りてない,豊かでない,何かいつもどこか後ろめたさみたいなもの、そんなものを感じ取って行動しているのです。逆にその反対に自由を選び取っていったら,そこには本当に喜びがあります。人に伝わる真理がその人の生き方の中にあります。何よりも深い愛情というものが湧いて来ます。これが宣教の第一歩,第一の原動力であると私は信じて疑いません。
50周年をお祝いするにあたりまして,過去をお祝いするだけにとどまらず,これを機会に今からどのように私たちの愛する日本という社会に,私たちの愛する世界にカトリック教会がどのように良き訪れを伝えていけるかを真摯に考える良い機会,よすがにするようにしましょう。
なお,下田神父さんの司祭叙階50年のお祝いをしております。本人がいなくて残念ですが,50年はやはり長い年月です。長くこの教会に勤めて,この教会のために働いてくださった神父様に感謝を込めて,今日の御ミサを続けるようにいたしましょう。
※司教様チェック済