待降節第1主日説教(シルバー神父金祝) マタイによる福音(24:37−44)
2004年11月28日
於:徳島教会
私も少しずつ歳をとってきているせいか、車の中や昼過ぎにはうとうとする事が多くなりました。うとうとする中で過ぎこし方を想うことなく思っている事が多々あります。
昔の事でよく覚えている事柄もあります。40年ぐらい前の事でしたか、私は毎年10年ぐらい続けて東京石神井の黙想の家に行って冬休みを利用して、黙想会にあずかっていました。ちょうど今日のこの福音の個所を開いて話を聞いた後、小春日の昼下がり、うとうとしていましたら、家を新築する槌の音がトントンと聞こえておりました。今日の福音のあの個所を説教師が説明した後でしたので、このトントンという音が非常に気になりました。とろけるような眠さの中で「嫁ぐことも、娶ることもない日が来る」と、それとはなしに考えていたものです。
毎年黙想のたびにその家の前を通りました。子供の声が聞こえたり、祖父母の喪中とあったりして、毎年その家の門が変わっていくのが見えました。40年経って、あれからその家はどうなっているでしょう。そしてそこに住む人たちはどうなっているでしょう。それよりも、それから40年経った自分の人生というのは何だったのでしょう。こういう思いがたくさん私にはあります。
「人々は食べたり飲んだり、娶ったり嫁いだりしていた。」全く今も同じ状況です。私たちは毎日食べて飲んで、時々嫁いで娶って華やかな日が流れ、子供が生まれ、そして親を亡くして、その時々に一喜一憂しています。それが過ぎ去り何もなくなったと気付く時、私たちは愕然とします。
しかし、その中に生きている時にはそれが当然のように思われて何も感じないのです。その時々が全てであるかのように思う。これが不信仰であるということを私たちに教えてくれております。
今日のパウロの手紙はあなたがたが、今どんな時であるかを知っています。
今や私たちが信仰に入ったころよりも救いが近づいていると述べております。私たちは本当にこんな実感を持っているでしょうか。時間のみが経過したけどまだその時々の出来事に一喜一憂しているだけに過ぎないのではないでしょうか。
過ぎ去った年月というのは、人生の究極という問題を私たちに突き詰めて教えているでしょうか。
黙示禄の中のエフェソの教会への手紙の中に「あなたには責められるべきところがある。それは昔の愛を失った」と、こういう言葉を使っております。
あんなに燃えて教会に入り、教会の教えに心を動かされた。それはどんな時だったのでしょう。
今日50周年のお祝いをするシルバー神父様の場合は、もっと違っていたと私は思っております。50年の司祭生活を積み重ねて永遠ということに思いをいたしていることでしょう。救いの完成の実感を持っていると私は信じて止みません。後ほど神父様自身に感想をお聞きしたいものです。
50年前といいますと日本は岩戸景気とかいって経済成長の途についていました。
私はそのころ高校を卒業してサレジオ修道会の修道院の門をたたいていました。九州から24時間かけて上京したこと、新橋を過ぎたあたりから、東京駅に着いた時のことを心配したなど、本当に昔の事のようです。
当時のカトリック教会は人々が溢れていました。シルバー神父様もその活気溢れる時代から、70年以降教会が寂しくなり、さらに高齢化、若者の教会離れの時代を経験されてきた事でしょう。その中でパウロがいう「救いは近づいた」という実感を持つためには、何がいるのでしょう。私はいたずらに「昔がよかった」と言いたくはありません。その時代時代を通して神様は確かに働かれているからです。「人の子は思いがけない時に来るからである」と今日の福音は締めくくっています。
こんな時、こんなに活気がなくなっていると思われるその時に、主は思いがけず来られます。信じましょう。困難でお手上げの状態に神様は思いもかけない形で介入してまいります。その思いもかけない神様の介入に道具として私が参加できればそれでいいのではありませんか。
シルバー神父様、長い間日本教会に働いてくださってありがとうございました。その流暢な日本語と日本人を深く理解する態度、私は尊敬して止みません。ついでに言わせていただくと、新任の教区長である私を支え、苦言を呈し、そして何よりも励ましてくださるようにお願い致します。
今、高松教区は新しい時代を迎えないといけません。古いしこりと、古いしきたり、古い物の見方から新しい物の見方に変わっていかないといけません。
その立役者でなければいけないはずの教区長をどうぞ、励まし助けてくださるようにお願い致します。
*この文章は溝部司教様の校閲,発表のご認可を得ています。