年間第32主日説教 ルカによる福音(20:27−38)
2004年11月7日
於:中島町教会
今日の福音を読んでいきますと、サドカイ派のいわゆる律法学者といわれる人達がイエス様に訊ねます。「1人の女が7人の男に嫁いでいったが、だれの妻になるのか」と、皆さんはどう思われますか。まさに、詭弁というのはこういうことかなと思われます。有りもしない事を理屈っぽく述べて、相手を窮地に追いやろうとする、これが彼らの姿勢です。しつこく、しつこく責めて、相手が悪かったと言わせるまで、白状するところまで追い詰めていきます。その間に、脅迫めいた言葉も使う、いわゆる恫喝という事を行います。たぶん今日のサドカイ派のこの学者は最初は猫なで声で話したのではないかなと、私には思われます。そして、徐々に徐々に恫喝に変わっていく。で、最後に否が応でも白状するというような状況に追い込んで、また猫なで声に返っていく。このサドカイ派の律法学者にとりまして、復活ということが問題なのではなくて、相手を落とし込むとうことが一番の問題となっております。こういう態度に対してイエス様はどういう姿勢をとるでしょう。
イエス様は復活そのものに問題があると、彼に向き直って話をします。法律の解釈など一切かまいません。モーセの法では7人の男に1人の女が嫁いだ云々と、そんな解釈は彼にとってどうでもいいことです。本質でない末端のことだけに終始する、これに対して本質を持って彼に向き合います。単刀直入に、本質に入っていくイエス様のこの真摯な姿というのをわたしたちは見る事が出来ます。
では何というのでしょう。「めとることも嫁ぐこともない」と。これは死後の世界の事であり、また、現代に生きる復活の信仰をもっている私達の生き方の世界でもあります。私は誰の夫であるとか、誰の妻であるとか、私は弁護士であるとか、医者であるとか、先生であるとか、主婦であるとか会長であるとか、あるいは総理大臣であるとか、一切復活のその日には肩書きはありません。私という1人の裸の人間が、神様と真っ直ぐに向き合わないといけないのです。これが復活の世界であるという事を言っております。
復活の世界を生きるという事は、すべての虚飾を脱ぎ去って、私自身が1人の人間として神様の前に立つこと、神様と真摯に話すことができる。これが復活の世界であるという事を表わしております。
私たちが求めている信仰というのはこういうことなのです。一切の虚飾と一切の虚言を取り去った自分自身の真っ直ぐな姿を神の前で表わしてみる、こういうことにあります。だから今日の福音で、神は死んでいるものの神ではない、生きているものの神なのだ。神によらずに何もない。こいうことをおしゃっております。そうです。私達は生きている神様と顔を合わせているこれが復活の世界です。今私達は復活の信仰をもってこの場にあずかっております。
キリスト教の本質は復活があるということを信じている、こういうことにあります。今、私達はキリストと出会っている。どんな風に出会うのでしょう。キリストと出会うためには私はどうでなければならないのでしょうか。私はだれそれの妻であるとか、だれそれの夫であるとか、私はこんな肩書きがあるとか、こんな自分を持っていたらキリストと決して出会うことはありません。虚飾という仮面を脱ぎ去った、そういう人間でなければ神の前にでる事は出来ません。その時に天国はあり、その時に極楽があり、その時にすばらしい福音の喜びがあるということを、私たちに教えております。神の前にあっても、なお自分を飾ろう飾ろうとする、この時が地獄である。という事を言っております。
この場面で復活の信仰という事を少し考えてみましょう。私達にとってキリスト教の本質である復活信仰ってどういうことでしょう。復活祭に復活のお祝いをすること、それぐらいのキリスト教でしょうか。私たちにとっては最大の事です。
復活しなかったキリスト様は2000年前、ユダヤというあの小さな空間と、2000年前のあの小さな時間の中で、そこで出会ったあの数千人の人に過ぎないでしょう、その人にしか出会うことは出来ませんでした。復活したキリストは時空を越えます。時間と空間を越えて、そして世界のすべての人2000年の間に生きた人々と出会います。私たちが復活したキリストを信じるとはこういうことなんです。
身体を持っているけれども身体を持たないかのように、生きて、そして時間も空間も越えて今、この私と出会うためにここにおられる方、これが復活したキリスト様ということになっております。もしも復活したキリスト様がなければ、2000年前のその人に出会うにすぎませんでした。復活されたキリストは2000年間の間に何億、何十億の人に出会って、そして、人々に生き方、自分の人生をどのように生きるかという事を伝えてまいりました。遅まきながら、私達は2000年を経て、この高知の土地でキリスト様があなたに話します。「さあ、あなたの虚飾を捨てなさいよ。あなたの仮面を捨ててごらんなさい。あなたの本当の姿をきちんと見てごらんなさい。そこに私がいますよ。そこでキリスト様と出会いますよ」とこういう話をしております。今日の福音の中から、これぐらいの黙想をする事が出来ます。
*この文章は溝部司教様の校閲,発表のご認可を得ています。
カトリック愛媛地区信徒使徒職協議会からご送付いただいたものを掲載しました。 |