ウィークリー・メッセージ 2022年11月20日

真の王様-「王であるキリスト」にあたって-

ブラザー八木信彦


 支配し命令し、従わせる王と、ゆるし仕え、従いたくなる王と、どちらが本当の王でしょうか?

 イエスは、ピラトやユダヤの議員たちによって翻弄され、犯罪人たちのまん中で、その親玉のようにして十字架につけられ、その下では兵士たちがはぎ取った服をくじで分け合い、民衆たちからは憎しみの目で見つめられ、議員たちからは「おまえは偽物の救い主か?」、兵士たちから「おまえは偽物の王だろう?」と嘲笑われました。手足を十字架にくぎ打たれてぶら下げられるという十字架刑は、ただでさえ苦痛に満ち、それが長く続く最も残酷な処刑です。この直前までは、鞭で打たれ、いばらの冠をかぶせられ、十字架を担いで運ばされました。それに加えて、これでもかこれでもかといわんばかりに徹底的に辱められ、侮辱されました。

 十字架につけられた肉体的な苦しみの中で、また徹底的に侮辱され、嘲られ、ののしられる中で、自分を十字架につけた人々、嘲り、ののしっている人々、自分を救う力のないお前は救い主でも王でもないとののしっている人々、それら全ての人々の罪の赦しを、イエスは父なる神様に祈りました。「彼らは何をしているか知らないだけです」と。

 何を知らなかったのでしょうか。神様に背き逆らい、神を神として敬わず、従わず、自分が主となって、自分の思いによって歩もうとしている、その私たちの罪を全て背負って、引き受けて、イエスが十字架にかかって下さったということ。救いも助けも恵みも愛も見えない現実の中に、神様の独り子がその苦しみ悲しみ絶望を自分の身に背負い、引き受けてくださったこと。十字架刑を受けなければならない罪人は本当は彼らであるのに、その身代わりとなってイエスが十字架につけられたこと。それらのことを彼らは知らないだけなんです。ゆるしてください…と。

 これだけの侮辱の中で、イエスは彼らの罪を赦そうとします。新しく生かそうとします。神さまに背いて離れてしまった結果犯してしまう人々の、これらの過ちで殺されようとしているイエスが、十字架上でそれらの罪を引き受けて死ぬことで、彼らが新たに歩めるようにゆるそうとします。借金で例えるならば、貸した人は借りた人の借金をゼロにし、借りた人が新たに歩めるようにします。また困難を感じる世の中で、その苦しみ悲しみ絶望を背負うことで、困難にある人に寄り添い、その同伴者となり、人々に希望を与えます(実際に3日後復活します)。これは、原罪によって一度忘れかけていた、主に従いたくなる心を呼び起こします。

 ここに、議員たちや兵士たちからの問い「おまえは偽物の救い主か?偽物の王か?」、また私たちへの問いかけ「支配し命令し、従わせる王と、ゆるし仕え、従いたくなる王と、どちらが真の王か?」に対する言葉にならなかった答えがあります。ゆるし仕え、従いたくなる王とはイエスのことで、偽物どころか、まことの救い主、王様の中の王様である、ということです。嘲りや侮辱で掲げられた札は、今日、世界を救う王様になっているのです。「王であるキリスト」は、それを祝う日なのでしょう。

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