ウィークリー・メッセージ 2022年11月13日

『年間第33主日』のメッセージ

西川康廣助祭


 教皇フランシスコは、シリーズ講話『識別』の中で「日々の生き方の見直しと内省の必要性」について、次のように話した。内省の目的は、人間は多くの罪を犯す存在なので、自分の考えや行いを調べて犯した過ちを認める必要があるが、それだけが内省の目的ではなく、神の呼び掛けに静かに耳を傾け、識別することが人間にとって欠かせない行為である。神が夫々の人生の中で、いつ、どこで、どのように関わり、働かれたかに気が付くことができれば、先入観として持っている自己否定的イメージから解放されることに繋がる。神の呼びかけを識別には、どうしても自分の生き方を振り返えることが大切である。その過程にいて、どんな些細なことであったとしても、神がどのように働いてくださったかに気が付くことができれば、必ず自己否定から解放されると教皇は諭した。西欧の罪文化に対して、日本は恥文化と言われ自己嫌悪に陥りがちである。自分は人の役に立つような能力を持ち合わせてないし、何の役に立たない人間であると消極的な考え方を持ちやすい。人間はみな弱さ、脆さ、欠点を持ち合わせている存在であり、自分の良くない点だけを見つめるのではなく、良い点も読み取っていく能力を身に着けていくことが大切である。しかし良くないことの中にも、より良い人生へ導くために神が蒔いてくださった種もある。『天の国の譬え』(マタイ13.45)に畑に隠された宝の話があるが、神が蒔かれた貴重な真珠を掘り起こす作業も必要である。

 ルカ福音書19章の後半はイエスのエルサレム入場に関する話である。オリーブ山の頂に立つと、美しい城壁に囲まれたエルサレムの町を一望できる。ソロモンによって建てられた第1神殿はBC.587年に崩壊したが、バビロニア捕囚後BC.445年に第2神殿が再建された。そしてヘロデ大王は第2神殿を改築し、世界に誇る壮大な神殿に作り変えた。その壮大な神殿に目を向けながらイエスは涙を流しつつ嘆く、「エルサレム、エルサレム、預言者を殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、雌鶏が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは従おうとしなかった」(ルカ13.34)と。イスラエルの歴史は、常に北の大国と 南の大国との間で戦争が繰り返され、イスラエルはその狭間にあって苦しんだ。しかしイスラエルの民は、「どんな否定的で理不尽な出来事に遭遇したとしても、決して諦めることなく、苦しみを絶え抜いた信仰こそが本物の信仰」と言うことを、歴史から学んだのである。

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