ウィークリー・メッセージ 2022年10月2日

「出向いていく」教会

ロザイロ・ブラッドリー神父


 教会や修道院が近くにないところに住む人は、しばしば話し相手の司祭や修道者を探し求めることがあると思います。そして、そのような人に出会うと自分たちの喜びや悲しみを分かち合えるようにつながり続けたい気持ちになります。 これは教会のないところに住む多くの人の現実です。

 数年前に私は数人の人々が住んでいる小さな地域で奉仕していました。その場所に礼拝所がなかったので私は集まる施設を探していました。その時にあるカトリック信者夫婦がミサや集会のために自分たちの所有していた古い家を提供するのに寛大でした。これは田舎に住むキリスト者数名にとってとてもありがたく、そのおかげで私たちは月に2回ミサや会議のために集まることができました。古い家はチャペルに変わり、所有者にとっては神さまからの祝福でした。ミサに来られた大多数は年配の日本人だったので彼らは少数の若いベトナム人が参加することを非常に喜んでおり、彼らの存在は大きな違いをもたらしました。私は毎回ミサをする時にいつも家庭的な雰囲気を感じることができました。また、その雰囲気はミサ後の交わり(フェローシップ)をリラックスさせたのと同時に、喜びと悲しみを分かち合うことができる環境をも作ってくれました。特にベトナムの若い方は言葉や文化の壁にぶつかりながら生活していたので自分たちが少しでも落ち着いて話ができる場所があって良かったと思います。

 さらに山に入ると、秘跡を待ち望んでいた数人に会いました。その一人はご高齢の方で病弱な女性でした。彼女の主な関心事は、自分が神様に呼ばれた時のカトリックの葬儀でした。家族の中で唯一の信者である彼女は近くの葬儀場に司祭を呼んでもらい、そこで葬儀や告別式を行うことが可能かどうかを知りたがっていました。私は彼女の話を聞いて、その方が神様のところに行くために自分自身を準備するだけでなく、信者でない家族のことをも考えているように思いました。私が葬儀場でカトリックの葬儀ができる可能性を提案した時に彼女の顔はとても幸せで満足しているように見えました。これはたった一人のことですが教会から遠く離れたところに住んでいる高齢者たちの関心事です。彼らは信仰生活や祈りなどの重要性を大事にしていると思います。だから、この世を去る時が来るとすべてがカトリックの儀式に従って行われることを希望しているように思います。

 私は昨年高知に引っ越して以来、須崎や土佐山田に夜のミサのために行っています。教会のない田舎町に外国から来られた農業研修生が住んでいます。彼らの多くはフィリピンからの研修生であり、与えられた最低賃金で何とか生活しています。須崎にある古くて汚れた建物はミサをする場所です。その隣に寮があり、そこで20名くらいの若者が生活しています。ミサに与るために彼らと一緒にその近辺に住んでいるフィリピン人が集まることがあります。土佐山田ですがたくさんの野菜畑や田んぼのあるところにフィリピンの若い研修生が生活しています。彼らの寮の周りに電気がないので夜は暗いですがそこでの低品質のビニールテントが仮設礼拝堂として機能しています。夏は蚊でいっぱいになり、冬は側壁がないので凍えるほど寒いです。土佐山田でのミサにはその近辺に畑の仕事をしながら日本に長く生活しているフィリピン人が与ることがあります。これらの場所では 「教会」という建物がなくても、祈りと礼拝のために集まる「信仰共同体」があるように思います。それが「教会」の真の意味ではないでしょうか。

 教皇フランシスコは、教会が「出向いていく」必要性について頻繁に話します。それは、教皇の言葉によると「周辺」と呼んでいる場所に出向いて行くことです。教会の外で様々な問題を抱えながら苦しい生活をしている人や社会から排除された人が多くいると思います。彼らのところに「出向いていく」ことは、日本の教会に奉仕する司祭・修道者にとって大きなチャレンジだと思います。私たちは例えば、確立された修道院や小教区や幼稚園という構造の中で長く滞在し、奉仕していると思います。 これは、日本に小教区を中心に働いて来た私にとって生活を快適にするだけでなく、社会の貧しい人々に挑戦されることの妨げとなっているように思います。そして、多くの場合、小教区の行事に縛られていたため、あまり外の世界が見えなくなったようにも思います。私たちは小教区あるいは幼稚園を離れ、恵まれない環境の中で恐れや不安を感じながら生活している人々のところに「出向いていく」ことによってイエス様がもたらされた救いを実際にすべての人に提供することができると思います。


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