ウィークリー・メッセージ 20207

 

マタイによる福音(マタイ5:13-16)


 

  徳島教会 イスマエル司祭 

エスは弟子たちに「あなたがたは地の塩である。・・・あなたがたは世の光である」と、語られました。

わたしたちは、なぜ洗礼を受けたのでしょうか。

その理由は十人十色、違いがあることでしょう。しかし、洗礼を授かる時は聖霊が降って、必ずその人を清くして下さいます。キリスト者として新しい生活が始まるのです。真のキリスト者になるには自分の信仰のことだけを考えるのではなく、他の人のことにも無関心ではいけません。

「地の塩」「世の光」であることを自覚せねばなりません。

塩は昔から人が生きていくためにいろいろな方法(調味料、清め、防腐剤等)で重宝されています。今、塩分は控えめにと言われていますが、適量の塩分は人命維持には欠かせません。

塩と同様に、わたしたちも日々の生活の中で適量の「塩」を加え、この世を腐敗から守るようにとイエスから期待されています。大切なことは、その「塩」は、イエスから頂いていることを忘れないことです。みことばが、わたしたちの隠し味として生かされるようにイエスは願っています。

また、わたしたちは光としての役目を果たさねばなりません。キリスト者として、暗闇の世を照らし輝かすキリストの光を守り、保たねばならないのです。光は輝き、決して隠すことはできません。その光を、わたしたちは洗礼を授かった時に神から頂いているのです。

わたしたちは、「光」を互いに与えあい、現代社会にある暗闇にたとえ小さな光であっても灯していきましょう。キリスト者として常に光をもたらす人となりましょう。


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