ウィークリー・メッセージ 201736

 

聖家族

  

高松教区司祭  ヨセフ ゴー・ヴァン・ダイン(Ngo Van Thanh:呉 文成)

 

 祭は一般の人と違って、独身性を守りながら、社会の中に生きている者です。独身なので、家庭を持っていないから、家庭の経験や雰囲気を理解できないわけではないと思います。わたしが八番目の子として生まれました。生まれてから、しばらく家族の両親をはじめ、みんなの愛情によって育てられていました。家族から離れて生活をしていると言っても、両親や兄弟の愛情をいただき、生きているわけです。


 昔のことに遡って考えてみますと、日常生活の中で家族のみんなが一緒に食事をする機会が多かったですが、最近その機会が少なくなってきました。なぜなら、家族のみんながバラバラしているからです。


 今日は聖家族のお祝いにあたっています。毎年主の降誕の直後の日曜日は、イエス、マリア、ヨセフの聖家族の祝日を祝います。あらゆる家族の起源であり、模範である聖家族というテーマはいつの時代にあっても家庭・家族の大切さについて思い起こさせます。家庭とは家族という絆をもった人々が集う場であり、家族とは生命・人生・信仰・祈り・愛の絆をもった人々によって構成される共同体です。


 第2バチカン公会議の公文書・現代政界憲章の中で家族・家庭は「小さな教会」であり、「人生を学ぶ学校」という面白い言葉で表現されています。確かに私たちは生まれてくるとき、誰もしがこの小さな共同体の中に生まれてきますし、その共同体の中で生命と人間としての人生の歩み方の第一歩を学び始めるのです。


 イエスは聖家族の中でどのように育てられたのでしょうか。イエスはこの聖家族の中で「神と人とに愛され」て育った。これが一番大切なことである。
 家庭にとって、子どもは何ができるわけではない。しかし、子どもがいることはうれしい、家族の一員であることは無条件にありがたい、という家族の愛に包まれています。だからこそ子供は成長できるのです。家族とは、無条件に「あなたがいてくれてうれしい」と言い合える関係です。聖家族はそういう家族だったし、わたしたちの家族の一番大切な機能もそこにあります。子どもにとって家族は愛を体験する場です。「あなたがわたしたちの家族でいてくれることは本当にうれしい」と言い合える場です。


  小さいときに、教会学校でシスターが教えてくれたことを忘れられない。「聖なる家族になるために、イエスとマリア、ヨセフの聖家族に倣いなさい」とシスターは言われました。聖家族は神を中心とした絆、神への信仰と信頼、そして希望によってしっかりと結ばれていた家族です。ナザレの聖家族の生活は穏やかに静かに流れていきました。 
 学校に行き、社会で働くようになると人間はぜんぜん違う世界に入っていきます。


どれだけの成績をとるか、どれだけ仕事ができるか、そういうことを厳しく問われる世界に入っていかなければならない。時には「あなたなんかいらない」と言われてしまう世界です。しかし、家族はそうじゃない。あなたが何ができるから、とか、わたしに何をしてくれるから、ではなく、無条件にあなたがいてくれてうれしい、そう言い合えるのが家族なのです。たとえ、病気で働けなくなっても、高齢になっていろいろ介護が必要になっても、「それでもあなたがいてくれてうれしい」そう言い合えるのが家族です。


 イエスとマリア、ヨセフの家族、聖家族の中心は父である神だと思います。聖家族においては、すべての家庭の営みは父である神の御心に従って行われました。実にヨセフは信仰の人です。身に覚えがないのにいいなずけが妊娠したことを知ったヨセフは深く苦悩します。しかしヨセフは夢の中で天使からお告げを受け、マリアが聖霊によって男の子を宿したことを信じました。さらにヨセフが家族を連れてエジプトに避難したのも夢の中での天使のお告げによります。エジプトからイスラエル、そしてナザレに居住したのも、夢のお告げによる、とマタイ福音書は述べています。


 今日の福音書では聖家族がそろって神殿にやってきたことが語られます。神の御子イエスを恵まれたヨゼフとマリアが、律法の規定に従って鳩二羽を代わりに捧げるという形で、その子を神に献げるために、ベトレヘムからエルサレム神殿に上って来た時の話です。そこで聖家族は二人の人物に出会います。一人はシメオン、もう一人はアンナです。この二人はシメアの到来を待ちこがれていた旧約時代の義人を代表する者として幼子イエスと出会います。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっており、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを受けていた」と記されています。シメオンは貧しげな家族に出会い、その幼子を見て、腕に抱き上げ、神をたたえて言います。「主よ、今こそお言葉のとおり、しもべを安らかに去らせてください。わたしはこの目であなたの救いをみたからです」とシメオンは賛歌を捧げます。


 神の霊はその御子とヨゼフ・マリアの家族の中だけではなく、初めて出会う人たちの中でも働き、家族を祝福し教え導いて下さるのです。その神の愛の霊に心を向けながら日々の生活を営む所に、家族の真の幸せがあると思います。


 <イスマエル司祭の記事「神は、あなたの近くにおられますか」に行く 諏訪司教の記事「神の母聖マリア」にいく>

ウィークリー・メッセージ目次に戻る

トップページに戻る