ウィークリー・メッセージ 201641

 

神様と私たち人間との対話

 

 丸亀教会担当司祭 カンバラ・デシデリオ  

 

 たちは、毎日曜日、教会に集まります。ミサは、私たちがキリストと共に、神様に感謝を捧げる聖なる日です。み言葉を聴き、共に祈り、神の民の共同体として、新しい心で外に向かっていく力を頂きます。その力は、割かれたパン、ご聖体です。
 
 第1朗読で、モーセはイスラエル人が、戦いに勝利するために祈ります。両手を広げて祈るモーセの姿は、十字架のキリストを、私たちに思い起こさせます。時間が経つにつれ、祈るモーセの手は力を失っていきます。その時、仲間がその手を支え、モーセの祈りは続けられます。祈りは、仲間と支え合い、共に祈り続けることで、強く確かなものとなり、神のもとへ運ばれて行きます。

祈りとはなんでしょう。モーセの祈りは、自分の民を救ってくれるように神に願う、嘆願です。自分の思いが、聞き届けられるように願うものです。私たちの祈りも、少なくともこの祈りに近いのではないでしょうか。
祈りは、神様と私たち人間との対話です。私たちのすべてを知り尽くしておられる神様から、神様の思いを私たちに教えてもらうことです。私たちがどこにいても、神様は一人ひとりに、慈しみの眼差しを向け、愛してくれています。私たちに向けられた神様の思いを、私たちの心が汲み取っていく、それが祈りです。見ることも触れることもできない神様の思いを知るために、諦めないで祈り続けることが大切です。裁判官の心を動かしたやもめの姿が、このことを思い起こさせます。ひたすら神様の一方的な力、愛を信じ続けることです。

 慈しみの聖年の今年、神様が私たち一人ひとりを、ご自分のかけがえのない
子どもとして、愛し慈しんでくださっていることを、いつも心に留めておきましょう。そして、パウロの一番弟子ともいえるテモテの信仰が、幼い日から家庭で育まれたように、家庭での祈りを大切にしましょう。

祈る家族は、神様の愛でしっかりと結ばれています。私たちの共同体も、すべての違いを越えた、祈りの家族です。そこから溢れ出る神様への愛と喜びは、私たちを福音宣教へと導きます。心に深く刻まれたみ言葉を、私たちは日々の生活の中で生き、周りの人々へその喜びを伝えていきましょう。

 小さな祈りの輪は広がり続け、この世界をも包み込みます。先日、ローマで列聖されたコルコタの聖テレサ、マザーテレサの祈りは、そのことを伝えています。
   沈黙の実は 祈り
   祈りの実は 信仰
   信仰の実は 愛
   愛の実は  奉仕
   奉仕の実は 平和

神の無限の愛の中で、聖霊の息吹を受け、私たちも平和の使徒となれるように祈り続けていきましょう。

 

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