ウィークリー・メッセージ 20168

 

四旬節第1主日

 

 中村教会担当司祭  硫黄 隆二

10日が灰の水曜日で四旬節が始まりました。今日は四旬節第一主日です。

四旬節は犠牲と祈りの期間です。どの宗教にも祈りをより多くし、苦行をする期間があります。犠牲というのは言葉をかえて言えば苦行をすることです。イエス様は洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後「霊」によって荒れ野の中を引き回され、40日間悪魔から誘惑を受けられたのでした。その間何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられました。ユダの荒野は悪魔の住む所とされていました。「40」という数は、イスラエルの民が40年間荒れ地をさまよったことを示す数字でした。イエス様は悪魔の誘惑に耐え続けました。それを助けたのはモーゼが神様から授かった言葉でした。まず、空腹と疲労に苦しむイエス様に悪魔がささやきました。「神の子なら石をパンに変えたらいいではないか」イエス様は「人はパンのみで生きるのではない、神の言葉によって生きているのだ」次に悪魔はイエス様を神殿の屋根の上に立たせて「神の子なら、ここから飛び降りてみるがよい。聖書にも『神は神の子のため天使に命じて守らせる』と書いてあるし『足を石で打たないように天使達は神の子を支える』ともあるではないか」と言った。これに対してイエス様は「神を試みてはいけないと言われている」と答えました。悪魔はイエス様を世界の国々が一瞬で見渡せるところまで連れて行くと「自分を崇拝するなら、この地の権力と繁栄を授ける」と誘いました。しかしイエス様は「神を崇拝することこそ私の使命だ」と断言しました。そして更に「あなたの主である神を拝み、ただ仕えよ」とするどく言い放ったのです。ついに悪魔は去りました。イエス様は聖書の言葉によって悪魔を退けたのでした。申命記の言葉を引用したのでした。
ユダの荒野と言うのは死海の西側に広がっている荒涼とした砂漠地帯です。ただ、砂漠といっても、その多くに緑が見られ、1年のある時期には放牧も出来るといった所です。悪魔の誘惑は3つでした。


1)「石にパンになるように命じたらどうだ」これに対してイエスは「人はパンだけで生きているのではない」と書いてある。現代人は食に関してよく考えます。それは栄養学的な面からです。肥満にならないように毎日体重の管理をする、糖分を取らないようにする、これによって日本人は長寿国となりました。それも良いことです。しかし、ここでは節制をするのは宗教的な意味であって欲しいし、宗教的な意向で節制しましょう。


2)悪魔はイエス様を神殿の屋根の上に立たせて「神の子ならここから飛び降りたらどうか。天使が守ってくれるはずだ」これに対してイエス様は「あなたの神である主を試してはならない」と言われました。私達は自分に対して努力することが大切なのでないでしょうか。試しにやってみるということがあっても、神様の助けを願いながら努力することでないでしょうか。


3)更に悪魔は「この国々の一切の権力と繁栄を与えよう。もし私を拝むならば」と。これに対してイエス様は「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と反論しました。これによって悪魔はイエス様を離れたのです。人はこの世のもの、お金、富、健康、権力、人の上に立ちたい、人よりも優れた者となりたい、裕福な生活をしたい、土地、財産、よい家庭に恵まれて病気にかからず幸せな生涯を送りたいと望むのですが、どれほど実現されるでしょうか。何時も神様を拝み、神様に仕えることが出来るようにお願いしましょう。

 

<フェルナンド神父の記事「漁師を弟子にする(ルカ5章、1-11)」に行く ホルヘ神父の記事「四旬節第2主日」に行く>

ウィークリー・メッセージ目次に戻る

トップページに戻る