ウィークリー・メッセージ 201548

 

待降節第2主日」

 

 教区本部事務局長・助祭 西川 康廣        

 日の福音書は、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を述べ伝えるため、洗礼者ヨハネが荒れ野に遣わされたという話です。

洗礼者ヨハネについては、彼は死海のほとりに創設されたクムラン共同体において、エッセネ派による信仰養成を受けたと一般的に言われている。洗礼者ヨハネが活躍した時代、ユダヤの国がどのような社会的環境にあったか、今日の福音書は具体的に述べている。まずユダヤの総督がポンティオ・ピラト、そして当時の大祭司がアンナスとカヤファ、それにガリラヤの領主がヘロデ・アンティパスだったと。これらの人々の名前を見ると、それぞれにいろんな事情を抱えていたので、『真理』に基づいた正しい生き方ができなかったことが伺える。

 ・大祭司アンナスとカヤファ(カイアファ)は、当時の宗教指導者たちと屈託し、民衆の人気が自分たちから次第に離れ去り、イエスへ傾きつつあるのを妬み、不正な宗教裁判によってイエスに有罪判決を下しました。イエスへの憎悪は留まることなく、遂にイエスの殺害を企てました。


 ・ポンティオ・ピラトは、ローマ皇帝によりあらゆる権限が授けられ、ユダヤの総督として派遣されて来た人物である。しかしピラトによるイエスの裁判の記事を読むと、『真理』に基づかない彼のことばには全く力がなく、その権威ですら使用することができなかった、いわゆる自分で全く責任が取れない優柔不断な人物でした。


 ・ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスは、義兄弟ヘロデ・フィリッポの妻だったヘロディアを奪い自分の妻(姦淫の罪)とした。この事件が洗礼者ヨハネにより咎められ、彼を投獄し、最後には斬首した人物である。

 いずれもこの3人に共通することは『真理』の上に立って行動ができなかったと言うことである。しかしこれらの人物は今日のわたしたちに通じることでもあります。つまりピラト、アンナスとカヤファ、ヘロデ・アンティパスは、単なる歴史上の人物と言うだけではなく、「私自身」でもあるということです。イエスが弟子たちを宣教へ派遣するに当たり、汚れた霊に対するあらゆる権能を授けられたと聖書に書いてあります。(マルコ6,7)
この世において生きていく限りは、苦しみ、悲しみ、涙、試練、病気、あらゆる誘惑は避けて通ることは不可能です。だからイエスは「自分の十字架を担ってわたしに従いなさい」(マタイ10,38)と、つまり「信仰」は日々戦いであると述べられているのです。わたしたちはご聖体を拝領するごとに、ペトロの信仰宣言を宣言しています。「主よ、あなたは永遠の命の糧、あなたを置いて誰の所へ行きましょう」と。(ヨハネ6,68) 

 そうです。イエス・キリストこそが、わたしたちの主であり、この方以外に真の救いはない。これがわたしたちの『真理』であり、信仰生活の立ち位置は常にここになければならないと、洗礼者ヨハネは今日のわたしたちに力強く宣言しているのです。「いつくしみの特別聖年」が開幕するに当たり、神のいつくしみの神秘に深く触れることができますように。



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